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Channel: 相木悟の映画評
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『GODZILLA ゴジラ』 (2014)

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神々しき新生ゴジラの咆哮を見届けよ!



まさに夏休みの娯楽!色々と口を挟みたいこともあるが、ひとまず最強に面白い怪獣映画であった。
日本が世界に誇るスーパースター、ゴジラ。誕生から60年、シリーズ28作という長い歴史を紡ぎ、核兵器、戦争、自然災害、はたまた子供たちのヒーロー、等々、様々なメタファーとして日本人のDNAに定着している当キャラクター。それを海外で製作する難しさは、当の日本人が一番身に沁みていよう。という訳で本作は、ハリウッド製『ゴジラ』第2弾である。
かような難企画に今回挑んだ監督は、長編デビュー作『モンスターズ/地球外生命体』(10)が評価され、大抜擢された新鋭ギャレス・エドワーズ。概ね称賛され、全米大ヒットのスタートダッシュを記録するも急速にしぼんだ事実等、様々な憶測が乱れ飛ぶ中、自らの眼で確かめるべく劇場へ駆け込んだのだが…!?

1999年、日本。富士山の麓にある雀路羅(じゃんじら)市の原子力発電所に勤める科学者のジョー(ブライアン・クランストン)は、正体不明の波動をキャッチ。直後に襲った振動により炉心が異常をきたし、調査にむかった妻のサンドラ(ジュリエット・ビノシュ)が逃げ遅れ、命を落としてしまう。
15年後。ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は米海軍の爆弾処理班に入り、病院勤務の妻エル(エリザベス・オルセン)と幼い息子と共にサンフランシスコで幸福に暮らしていた。そんな折り、父ジョーが東京で警察に逮捕されたという連絡が入る。ジョーは日本に留まり、隠蔽された事故の真相を一人調査していたのであった。ジョーを迎えに来日したフォードであったが、逆に熱意にまけて、ジョーと共に汚染区域に侵入することに。しかし二人はパトロール隊に拘束され、原発跡に建設された研究機関“モナーク”の施設に連行される。そこで二人が見たものは、生物科学者の芹沢博士(渡辺謙)と助手のグレアム博士(サリー・ホーキンズ)の監視下におかれた巨大な繭であった。そしてその時、15年前と同じ周波数を計測し、繭の中の生物が動き出し…。


※本稿は、ネタバレ全開で参りますのでご注意ください!






『ゴジラ』シリーズが単なる怪獣映画としての娯楽以上に根深く神聖視されている由縁は、いうまでもなく1954年の第1作の社会的なメッセージ性にあろう。
ビキニ環礁の水爆実験により、住処を追われた原始怪獣ゴジラが放射能を吐き、東京を焦土と化していく。原爆の被害を受け、戦争の記憶が生々しく残る当時の人々にとってその光景は、真に迫る終末的恐怖であったことは想像に難くない。
制御不能の危険物を生み出し、あまつさえそれを利用せんとする愚かさ。そうした驕りに荒ぶる神が鉄槌を下す構図は、幸か不幸か普遍的である。
…が、ゴジラを生物を超越した自然への畏れと捉えるこの感覚が、宗教的な認識や農民族と狩猟民族の意識の壁もあり、他国製では成立し辛いのが現状である。ハリウッドともなれば、どうしても一作目を改変した『怪獣王ゴジラ』(56)よろしく、侵略者、危害を加える怪物は退治すべしという勧善懲悪の概念に寄ってしまうのだ。

という訳で、今回はその点どうなのか?
結果、指揮をとった監督がイギリス人だからか、1作目を研究した成果なのか、日本のゴジラ像をリスペクトしつつ、かつてないゴジラ像を生み出している。
まず設定として、劇中に出現する2種類の怪獣コジラとムートーは、高度の放射能に地表が覆われていた2億7千年前、放射能を主食に地上に繁栄していた巨大生物である。やがて地上の放射能を喰い尽くした彼らは地下に潜り、放射能を含むマグマを食するようになった。ところが、核兵器の乱開発により放射能濃度が高くなり、地上に再進出を開始したという訳だ。
元来、ムートーは原子炉を体内にもつゴジラを食べ、卵を産みつける習性をもつが、地上では原発を狙い、核弾頭に卵を産みつける。
一方、ゴジラは仲間の仇なのか、生物としての本能か、天敵のムートーを倒さんと付け狙う。
要は、人類は蚊帳の外なのである。いってしまえば両者にとっては、煩わしいハエみたいな存在なのだ。軍隊はゴジラを必死に攻撃するも、現に向こうは全然相手にしていない。あくまでもターゲットはムートーである。下手をすれば、攻撃されていることすら、気付いていないのではないか?
そんなゴジラを、バランスをもたらす神=救世主として勝手に解釈して敬う、新しいシチュエーションは、なかなかどうして新鮮である。我々の方を向き、敵として、味方としてアンビバレンスな感情を植えつける日本版と違い、そっぽを向いている無愛想さが逆に頭を空にして応援できてしまう。

また、『パシフィック・リム』(13)でもおざなりにされていた怪獣の哀しさをバッチリ押さえている点も好感度高し。
ムートーと親子二代で因縁のある主人公フォードは、母と父の仇をうつために雌ムートーの産んだ卵を焼き払ってしまう。我が子を黒焦げにされたムートーの嘆きの切ないこと。ムートーに悪気はないだけに同情を禁じえない。かといって、家族を守るフォードも責められまい。復讐の連鎖を描いた、シビアなドラマである。

怪獣の見せ方も完璧だ。常に人間の視点に寄りそうカメラと思わす同期して、スクリーンを見上げてしまう108メートルという最大サイズの巨大さ。日本版がどうしても出せなかった水滴の細かさ。今か今かとじらしにじらす登場シーン。フルCGにも関わらず着ぐるみ感を残した、見慣れると格好いいメタボ・スタイル。全身全霊をかける一撃必殺の放射熱線。極めつけは見得をきるような大咆哮と、鳥肌モノのシーンの連続だ。(なんとなくその諸々の熱さは、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95)と似通っているのはご愛嬌)
ハワイ、ラスベガス、サンフランシスコの大決戦と、都市を破壊し尽くす怪獣バトルの興奮を味わうだけでも観る価値はあろう。

とはいえ、色々と突っ込みどころも多く、日系俳優の変な日本語や変な日本描写もやっぱり健在。
芹沢博士のキャラが、アインシュタインの轍を踏まぬよう自ら発明した兵器を自らの命で封印する“人類の業”を体現したオリジナルと違い、ほとんど傍観者となってしまったのは勿体ない限り。謙さんの顔力で存在感だけはあるのだが…。
助手役のサリー・ホーキンズ、司令長官役のデヴィッド・ストラザーンという名優の無駄使いも何をかいわんや。

特に、ビキニ環礁の実験がゴジラを殺す目的であったとか、日本での原発事故がムートーの襲撃が原因とだけで済ます神経等、これらの歴史修正はいただけない。それどころか、見ようによってラストは、結局のところ、ゴジラ=核&原発との共存を謳っているようにも見える。
広島の原爆の責任に触れるなど、過去の作品に比べれば前進は前進であろうが、やはり人類の罪を断罪、警鐘を鳴らすという側面からの深刻度は低い。
この辺りは、続編での健闘に期待したい。

しかしながら、本作を観ていると、原発事故以降、1作目のように日本が危機感と使命感をもって『ゴジラ』を作るべきだったと痛感し、悔しさがわき上がってくる。
余計、海に消えゆくゴジラの背中がさみしく見えた次第である。


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