ダークな人生論をえぐる妖しき犯罪劇!
人間の内面の濃厚な飢えを多面的に活写した一級ドラマであった。
本作は、『桐島、部活やるってよ』(12)で映画ファンの熱い支持をうけた吉田大八監督作。今回手掛けるのは、角田光代のベストセラー小説の映画化だ。角田原作、先行放送されたNHKのTVドラマ、満を持しての映画版、となるとつい『八日目の蝉』(11)の勝利の方程式を連想しよう。『八日目の蝉』は映画ならではの大胆な脚色が施され、原作ファンやドラマ版の鑑賞者にも好評をもって受け入れられた。そういう意味では、吉田大八監督は『桐島、部活やめるってよ』で、下手をすれば原作をしのぐ改変をみせ、観客を唸らせたのはご存じの通り。土台、期待するなという方が無理である。
例によって、ドラマ版は未見。原作を超特急でチェックして、スクリーンへ向かったのだが…!?
バブルがはじけて間もない1994年。梅澤梨花(宮沢りえ)は、郊外のマイホームでサラリーマンの夫(田辺誠一)と二人暮らし。銀行の契約社員として営業に励む梨花は、職場では真面目な仕事ぶりが評価されるも、私生活では自分を見下す夫との関係にむなしさを募らせていた。そんなある夜、会社の飲み会が催された渋谷で、顧客の独居老人(石橋蓮司)の家で一度顔を合わせた大学生の光太(池松壮亮)と再会。その後、梨花は導かれるように光太と逢瀬を重ねるようになる。そして外回りの帰り、衝動買いした化粧品の代金が不足し、顧客の預かり金に手を付けてしまったことをきかっけに、度々、預り金の横領に手を染めるようになっていく。お金は学費に困る光太への援助や遊興費に浪費し、使えば使うほど金銭感覚が麻痺した梨花の横領額は歯止めがかからず、増加の一途を辿り…。
大きな改変といえば、原作は梨花と彼女の起こした事件に対する知人のリアクションを追った群像劇であったところを、本作では潔く梨花に絞られている。
特に度肝を抜かれたのが、梨花と光太の一線を越えるまでのプロセス。原作では、そう至るまで段階を踏んで克明に描かれるのだが、本作では一気になだれこむ。梨花と夫の関係性や置かれた立場と焦燥も、最小限のエピソードと繊細な芝居で的確に組み立てられ、光太への心の揺らぎも電車をつかった演出等で十二分に伝わってくる。見事な映像的省略といえよう。
梨花に的を絞った分、銀行内部のディテールはより深く掘り下げられている。そして、さらにドラマを豊かにするために加えられたのが、ベテラン事務員の隅より子(小林聡美)と、若い窓口係の相川恵子(大島優子)のオリジナルキャラ2名だ。この両者は、小説の地の文で詳細に記された梨花の心理を代弁する分身の役割を果たしている。いわば、誰の心にもある善悪の別人格であり、極端な願望とでもいおうか。
隅さんは厳格に仕事に挑む堅物で、他人の目を気にせず粛々と“あるべき道”を進むモラルの使者。
相川さんは天真爛漫に女の武器を利用して、要領よく立ち回るちゃっかり者。
どちらの生き方も選択肢にあったかのように、梨花の葛藤を浮き彫りにし、梨花は時に二人の台詞にすがる。そして正義の心は、やがて罪を犯した本人を追い詰める。
演じる役者陣が、また上手い。
漫画チックな外見に関わらず、隅さん役の小林聡美の情念を封じ込めた冷たいリアリティは、圧巻の一言。梨花の横領にじわじわと迫りくるサスペンスたるや。最強の敵役である。今年の助演女優賞は、彼女に決まりだ。
相川さん役の大島優子も、自身のイメージを活かして大奮闘。
もちろん東京国際映画祭で最優秀女優賞を射止めた宮沢りえの堂々たるヒロインぶりも素晴らしい。正直、はじめからキレイすぎて浮世離れしており、平凡な奥様が“変身”するという妙味はない。ただ、役への入り込みように圧倒される。自由を謳歌する無邪気さ、破滅への不安、全てを受け入れる達観、等々、真に迫る感情の機微を滲ませた芝居に、終始釘付け状態だ。
中でも横領に手を染めるシーンは必見であり、共に動機が高鳴る実にスリリングな名シーンとなっている。
嫌悪感を及ぼしてもおかしくないキャラに神秘の奥行を感じるのは、バブル期に絶頂を迎え、世間を何かと騒がした彼女自身のエキセントリックな人生が重なるがゆえ。まさに彼女のための映画である。
男性陣も負けてはいない。絵に描いたような好人物ながら腹に一物ある夫役の田辺誠一。いかにもな役をソツなくこなす、石橋蓮司や近藤芳正。
宮沢りえの相手をはる光太役に扮した池松壮亮のキュートなダメ男ぶりもまた超絶に上手い。ちょっとここで不満を記しておくと、本作では簡略化され過ぎて原作の当キャラの単なる悪ガキではない深みがなくなってしまった。梨花が断固けじめをつける本作の結末も悪くはないが、原作の光太の反応の方がショッキングであったと思う。好きな場面だっただけに残念。
何はともあれ、もうこの最高級のアンサンブルを観るだけでも価値はあろう。
時折り、挿入される梨花の学生時代の“寄付”の逸話。梨花の行為の正当性を説くように、そこでは人間の偽善が暴かれる。
所詮、人間にとって一番大事で基準であるのは、“自分の幸せ”。それにより他人が幸福になろうが、不幸になろうが関係ない。世の中は造りものであり、何か実体なのか判断がつかず、唯一、確かなのは自らの幸福感なのだから。
かような哲学的なテーマを、大いに考えさせられた。クライマックスの梨花と隅さんの鬼気迫る対決。やがて訪れる、世の道徳や善悪を突き破る“解放”のカタルシス。多分に映画的な躍動感で、観客に“幸福”を共有させた本シーンに、一言、感動した。
よって余計、エピローグのちょっとしたホロリ感は、蛇足に感じた次第である。
終わってみれば、またも原作を大幅に超える見事な映画化作品になっていた。
う~ん、恐れ入りました。
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人間の内面の濃厚な飢えを多面的に活写した一級ドラマであった。
本作は、『桐島、部活やるってよ』(12)で映画ファンの熱い支持をうけた吉田大八監督作。今回手掛けるのは、角田光代のベストセラー小説の映画化だ。角田原作、先行放送されたNHKのTVドラマ、満を持しての映画版、となるとつい『八日目の蝉』(11)の勝利の方程式を連想しよう。『八日目の蝉』は映画ならではの大胆な脚色が施され、原作ファンやドラマ版の鑑賞者にも好評をもって受け入れられた。そういう意味では、吉田大八監督は『桐島、部活やめるってよ』で、下手をすれば原作をしのぐ改変をみせ、観客を唸らせたのはご存じの通り。土台、期待するなという方が無理である。
例によって、ドラマ版は未見。原作を超特急でチェックして、スクリーンへ向かったのだが…!?
バブルがはじけて間もない1994年。梅澤梨花(宮沢りえ)は、郊外のマイホームでサラリーマンの夫(田辺誠一)と二人暮らし。銀行の契約社員として営業に励む梨花は、職場では真面目な仕事ぶりが評価されるも、私生活では自分を見下す夫との関係にむなしさを募らせていた。そんなある夜、会社の飲み会が催された渋谷で、顧客の独居老人(石橋蓮司)の家で一度顔を合わせた大学生の光太(池松壮亮)と再会。その後、梨花は導かれるように光太と逢瀬を重ねるようになる。そして外回りの帰り、衝動買いした化粧品の代金が不足し、顧客の預かり金に手を付けてしまったことをきかっけに、度々、預り金の横領に手を染めるようになっていく。お金は学費に困る光太への援助や遊興費に浪費し、使えば使うほど金銭感覚が麻痺した梨花の横領額は歯止めがかからず、増加の一途を辿り…。
大きな改変といえば、原作は梨花と彼女の起こした事件に対する知人のリアクションを追った群像劇であったところを、本作では潔く梨花に絞られている。
特に度肝を抜かれたのが、梨花と光太の一線を越えるまでのプロセス。原作では、そう至るまで段階を踏んで克明に描かれるのだが、本作では一気になだれこむ。梨花と夫の関係性や置かれた立場と焦燥も、最小限のエピソードと繊細な芝居で的確に組み立てられ、光太への心の揺らぎも電車をつかった演出等で十二分に伝わってくる。見事な映像的省略といえよう。
梨花に的を絞った分、銀行内部のディテールはより深く掘り下げられている。そして、さらにドラマを豊かにするために加えられたのが、ベテラン事務員の隅より子(小林聡美)と、若い窓口係の相川恵子(大島優子)のオリジナルキャラ2名だ。この両者は、小説の地の文で詳細に記された梨花の心理を代弁する分身の役割を果たしている。いわば、誰の心にもある善悪の別人格であり、極端な願望とでもいおうか。
隅さんは厳格に仕事に挑む堅物で、他人の目を気にせず粛々と“あるべき道”を進むモラルの使者。
相川さんは天真爛漫に女の武器を利用して、要領よく立ち回るちゃっかり者。
どちらの生き方も選択肢にあったかのように、梨花の葛藤を浮き彫りにし、梨花は時に二人の台詞にすがる。そして正義の心は、やがて罪を犯した本人を追い詰める。
演じる役者陣が、また上手い。
漫画チックな外見に関わらず、隅さん役の小林聡美の情念を封じ込めた冷たいリアリティは、圧巻の一言。梨花の横領にじわじわと迫りくるサスペンスたるや。最強の敵役である。今年の助演女優賞は、彼女に決まりだ。
相川さん役の大島優子も、自身のイメージを活かして大奮闘。
もちろん東京国際映画祭で最優秀女優賞を射止めた宮沢りえの堂々たるヒロインぶりも素晴らしい。正直、はじめからキレイすぎて浮世離れしており、平凡な奥様が“変身”するという妙味はない。ただ、役への入り込みように圧倒される。自由を謳歌する無邪気さ、破滅への不安、全てを受け入れる達観、等々、真に迫る感情の機微を滲ませた芝居に、終始釘付け状態だ。
中でも横領に手を染めるシーンは必見であり、共に動機が高鳴る実にスリリングな名シーンとなっている。
嫌悪感を及ぼしてもおかしくないキャラに神秘の奥行を感じるのは、バブル期に絶頂を迎え、世間を何かと騒がした彼女自身のエキセントリックな人生が重なるがゆえ。まさに彼女のための映画である。
男性陣も負けてはいない。絵に描いたような好人物ながら腹に一物ある夫役の田辺誠一。いかにもな役をソツなくこなす、石橋蓮司や近藤芳正。
宮沢りえの相手をはる光太役に扮した池松壮亮のキュートなダメ男ぶりもまた超絶に上手い。ちょっとここで不満を記しておくと、本作では簡略化され過ぎて原作の当キャラの単なる悪ガキではない深みがなくなってしまった。梨花が断固けじめをつける本作の結末も悪くはないが、原作の光太の反応の方がショッキングであったと思う。好きな場面だっただけに残念。
何はともあれ、もうこの最高級のアンサンブルを観るだけでも価値はあろう。
時折り、挿入される梨花の学生時代の“寄付”の逸話。梨花の行為の正当性を説くように、そこでは人間の偽善が暴かれる。
所詮、人間にとって一番大事で基準であるのは、“自分の幸せ”。それにより他人が幸福になろうが、不幸になろうが関係ない。世の中は造りものであり、何か実体なのか判断がつかず、唯一、確かなのは自らの幸福感なのだから。
かような哲学的なテーマを、大いに考えさせられた。クライマックスの梨花と隅さんの鬼気迫る対決。やがて訪れる、世の道徳や善悪を突き破る“解放”のカタルシス。多分に映画的な躍動感で、観客に“幸福”を共有させた本シーンに、一言、感動した。
よって余計、エピローグのちょっとしたホロリ感は、蛇足に感じた次第である。
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