壮大なるテンコ盛りSFラブ・ストーリー!
哲学っぽい内容ながら、普遍的な感動を呼ぶスペース・エンターテインメントであった。
本作は、ハリウッド気鋭のヒットメーカー、クリストファー・ノーラン監督作。『メメント』(00)というユニークな作品で世に出た監督らしく、ビッグ・バシェットのアメコミ大作で稼いで、『インセプション』(10)のような冒険企画を手掛ける稀有な監督さんである。今回、挑んだのは、私的な好みが詰まったSF大作だ。
フィルム撮影に執着するロケセット好き、ブロックバスター映画への愛、オリジナル脚本へのこだわりと、作品の良し悪しはともかく、個人的につい親近感を抱き、ご贔屓にしてしまうノーラン監督。本作についても秘密主義を貫き、様々な噂が飛び交ったが、はたしてどんな驚くべき世界をみせてくれたのか…!?
近未来。大規模な環境異変により食糧難に陥った人類は、ゆっくりと滅亡の道を歩んでいた。アメリカ中部で農場を営む元宇宙飛行士のクーパー(マシュー・マコノヒー)は、妻を病気で亡くし、義父(ジョン・リスゴー)と15歳の息子トム、10歳の娘マーフ(マッケンジー・フォイ)との4人暮らし。ある日を境にクーパーの家では、本がひとりでに倒れる等、不思議な現象が起きており、感受性の強いマーフは“何か”を感じとる。そして、クーパーとマーフは、開けっ放しだった窓から入り込み、床に積もった砂の模様が座標を示していることを察知。さっそく座標の地点に向かった二人は、再編されたNASAの施設を発見する。クーパーと旧知の仲であるブランド教授(マイケル・ケイン)と娘のアメリア(アン・ハサウェイ)に迎えられる二人。ブランド教授は、人類の生き残る道は、木星近くに発生したワームホールを通って他銀河へ渡り、移住できる星を探すしかないと説明。すでに12人の宇宙飛行士が送り込まれ、はるか彼方の銀河の3つの惑星から信号が送られてきているという。ブランドはクーパーに、その信号の確認へいくプロジェクトへの参加を依頼する。悩んだ末、クーパーは人類を救うべく、申し出を受けるのであった。ただ、何年もの期間を擁し、帰還する可能性の少ない作戦に、マーフは猛反対。その溝が埋まらぬまま、クーパーが旅立つ日がやってきて…。
クリストファー・ノーラン監督がインタビューで語るのを聞くと、スティーヴン・スピルバーグとスタンリー・キューブリックといった自らが影響をうけたSF作品群を足したものをつくったという。「へぇ~」と唸った後、「そんなこと可能なのか!?」と即座に我にかえったが、実際観てみると、なるほど上手く融合している。
序盤は、不穏で静謐な終末感が漂う中、不思議な現象が起こる農家のファミリー・ストーリーが丁寧に紡がれる。主人公クーパーに対する『ライトスタッフ』(83)のエッセンスをはじめ、『未知との遭遇』(77)、『サイン』(02)といった先達のイメージが飛び交う当シークエンスは、なかなかに味わい深い。(個人的な好みでは、ちょっと退屈だったが…)
クーパーが宇宙探査に地球を飛び立つ段になると、一大スペクタクルへと変転。製作総指揮もかねた高名な理論物理学者キップ・ソーン氏によって考察された最新の宇宙描写も本格的で、見応え充分。相対性理論を適用した時間の論理等々、科学的精査に耐えられるよう造られている(そうだ)。
とにもかくにも、無機質な宇宙空間、苛烈な環境の他惑星、ブラックホールやワームホールといった雄大な映像美の数々は圧巻の一言だ。
加えて、この手の映画には欠かせないマスコット・キャラの“モノリス”型ロボットの、手塚治虫チックな愛らしいキャラ立ちも特筆モノ。
アクションに関しては、そこはいつものように、ハッキリいって上手くない。『ゼロ・グラビディ』(13)の驚愕ぶりには劣る。
でも、ことココに至って登場人物たちの行動原理は家族や恋人であり、感傷的に泣かせにかかるのが本作の肝。宇宙アドベンチャーと地球の家族の物語が並行して描かれ、宇宙にいる1時間が地球の数年分に値する時間の差がクーパーやアメリアにのしかかる。
さらに宇宙の果てで、人間同士が小さなエゴでいがみ合う愚かさよ。(あっと驚く豪華ゲストも、そこに花をそえる)
ことほど左様に、地球存亡という壮大な状況の中で、本作は至極マクロな視点に終始する。
そして、ストーリーは神秘&難解化。頭の悪い僕には正直、何がどうなって解決したのか理解不能であった。でも頭を悩ますことはない。『2001年宇宙の旅』(68)のように、哲学的な海に飲まれることはない。メッセージは、至ってシンプル。いわば、作品はベタに“愛”を叫ぶ。つまるところ、神の力ではなく、愛の力は時空を越え、全てを解決する。下手をすればお笑いとなるこの愚直な力強さに、僕は感動してしまった。高尚ぶっておきながら、きちんと人間賛歌のエンタメにまとめるノーランは、本当に偉い。
だた、驚愕のラストを明かすべからずと厳しい箝口令がひかれている割には、その仕組みは某有名漫画等で使い古された手であり、何ら真新しいアイディアではない事実を記しておく。
上映時間169分。こんな尺は不要であったとは思うが、ラストの清々しさもあり、観終わった後は心地よい疲労と充実感に覆われよう。
がしかし、顧みてみれば、スピルバーグやキューブリックの諸作品のインパクトには到底及ばず、既視感が邪魔をしてあまり後には残らない。名作を切り貼りして、オリジナリティを出そうとする試み自体は別に悪くはないし、現に成功している部分もある。が、結果的には名作にはなりえず、といったところか。
とはいえ、オリジナル作品を果敢に生みだす才能ある監督さんである。今後も次から次へ楽しませてくれよう。
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哲学っぽい内容ながら、普遍的な感動を呼ぶスペース・エンターテインメントであった。
本作は、ハリウッド気鋭のヒットメーカー、クリストファー・ノーラン監督作。『メメント』(00)というユニークな作品で世に出た監督らしく、ビッグ・バシェットのアメコミ大作で稼いで、『インセプション』(10)のような冒険企画を手掛ける稀有な監督さんである。今回、挑んだのは、私的な好みが詰まったSF大作だ。
フィルム撮影に執着するロケセット好き、ブロックバスター映画への愛、オリジナル脚本へのこだわりと、作品の良し悪しはともかく、個人的につい親近感を抱き、ご贔屓にしてしまうノーラン監督。本作についても秘密主義を貫き、様々な噂が飛び交ったが、はたしてどんな驚くべき世界をみせてくれたのか…!?
近未来。大規模な環境異変により食糧難に陥った人類は、ゆっくりと滅亡の道を歩んでいた。アメリカ中部で農場を営む元宇宙飛行士のクーパー(マシュー・マコノヒー)は、妻を病気で亡くし、義父(ジョン・リスゴー)と15歳の息子トム、10歳の娘マーフ(マッケンジー・フォイ)との4人暮らし。ある日を境にクーパーの家では、本がひとりでに倒れる等、不思議な現象が起きており、感受性の強いマーフは“何か”を感じとる。そして、クーパーとマーフは、開けっ放しだった窓から入り込み、床に積もった砂の模様が座標を示していることを察知。さっそく座標の地点に向かった二人は、再編されたNASAの施設を発見する。クーパーと旧知の仲であるブランド教授(マイケル・ケイン)と娘のアメリア(アン・ハサウェイ)に迎えられる二人。ブランド教授は、人類の生き残る道は、木星近くに発生したワームホールを通って他銀河へ渡り、移住できる星を探すしかないと説明。すでに12人の宇宙飛行士が送り込まれ、はるか彼方の銀河の3つの惑星から信号が送られてきているという。ブランドはクーパーに、その信号の確認へいくプロジェクトへの参加を依頼する。悩んだ末、クーパーは人類を救うべく、申し出を受けるのであった。ただ、何年もの期間を擁し、帰還する可能性の少ない作戦に、マーフは猛反対。その溝が埋まらぬまま、クーパーが旅立つ日がやってきて…。
クリストファー・ノーラン監督がインタビューで語るのを聞くと、スティーヴン・スピルバーグとスタンリー・キューブリックといった自らが影響をうけたSF作品群を足したものをつくったという。「へぇ~」と唸った後、「そんなこと可能なのか!?」と即座に我にかえったが、実際観てみると、なるほど上手く融合している。
序盤は、不穏で静謐な終末感が漂う中、不思議な現象が起こる農家のファミリー・ストーリーが丁寧に紡がれる。主人公クーパーに対する『ライトスタッフ』(83)のエッセンスをはじめ、『未知との遭遇』(77)、『サイン』(02)といった先達のイメージが飛び交う当シークエンスは、なかなかに味わい深い。(個人的な好みでは、ちょっと退屈だったが…)
クーパーが宇宙探査に地球を飛び立つ段になると、一大スペクタクルへと変転。製作総指揮もかねた高名な理論物理学者キップ・ソーン氏によって考察された最新の宇宙描写も本格的で、見応え充分。相対性理論を適用した時間の論理等々、科学的精査に耐えられるよう造られている(そうだ)。
とにもかくにも、無機質な宇宙空間、苛烈な環境の他惑星、ブラックホールやワームホールといった雄大な映像美の数々は圧巻の一言だ。
加えて、この手の映画には欠かせないマスコット・キャラの“モノリス”型ロボットの、手塚治虫チックな愛らしいキャラ立ちも特筆モノ。
アクションに関しては、そこはいつものように、ハッキリいって上手くない。『ゼロ・グラビディ』(13)の驚愕ぶりには劣る。
でも、ことココに至って登場人物たちの行動原理は家族や恋人であり、感傷的に泣かせにかかるのが本作の肝。宇宙アドベンチャーと地球の家族の物語が並行して描かれ、宇宙にいる1時間が地球の数年分に値する時間の差がクーパーやアメリアにのしかかる。
さらに宇宙の果てで、人間同士が小さなエゴでいがみ合う愚かさよ。(あっと驚く豪華ゲストも、そこに花をそえる)
ことほど左様に、地球存亡という壮大な状況の中で、本作は至極マクロな視点に終始する。
そして、ストーリーは神秘&難解化。頭の悪い僕には正直、何がどうなって解決したのか理解不能であった。でも頭を悩ますことはない。『2001年宇宙の旅』(68)のように、哲学的な海に飲まれることはない。メッセージは、至ってシンプル。いわば、作品はベタに“愛”を叫ぶ。つまるところ、神の力ではなく、愛の力は時空を越え、全てを解決する。下手をすればお笑いとなるこの愚直な力強さに、僕は感動してしまった。高尚ぶっておきながら、きちんと人間賛歌のエンタメにまとめるノーランは、本当に偉い。
だた、驚愕のラストを明かすべからずと厳しい箝口令がひかれている割には、その仕組みは某有名漫画等で使い古された手であり、何ら真新しいアイディアではない事実を記しておく。
上映時間169分。こんな尺は不要であったとは思うが、ラストの清々しさもあり、観終わった後は心地よい疲労と充実感に覆われよう。
がしかし、顧みてみれば、スピルバーグやキューブリックの諸作品のインパクトには到底及ばず、既視感が邪魔をしてあまり後には残らない。名作を切り貼りして、オリジナリティを出そうとする試み自体は別に悪くはないし、現に成功している部分もある。が、結果的には名作にはなりえず、といったところか。
とはいえ、オリジナル作品を果敢に生みだす才能ある監督さんである。今後も次から次へ楽しませてくれよう。
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