黒澤監督が解き放つ、極彩色の異世界群像劇!
映画が誕生して百云年。技術の進化により、その形態は数々の変節を遂げてきた。長いキャリアを誇る巨匠ともなれば、折々の革新にどう対応するかが問われよう。巨神、黒澤明もまた然り。
世がモノクロからカラーへと移りかわる際、黒澤監督は頑なに抵抗を続けたが、やはり時代の趨勢には購えなかった。それはカラー表現を否定していた訳ではなく、もともと画家志望であった監督の色に対するこだわりが強かったがゆえであった。こうして色を手に入れた監督は、一筋縄ではいかない独特のカラー作品を生み出していくこととなる。
という訳で本作は、記念すべき黒澤明初のカラー作品である。モノクロからカラーという区切りもさることながら、監督の人生的にも再出発となる重要作となった。
黒澤娯楽の集大成ともいえる『赤ひげ』(65)を放った後、監督は作家としてさらなるステップアップを望み、当然の如くその眼は海外に向けられた。一方、海外サイドも監督ほどの才能をほうっておくはずはなく、世界デビュー企画が次々に持ち込まれた。
そして、列車アクションの『暴走機関車』、真珠湾攻撃を描いた戦争大作『トラ!トラ!トラ!』と、実現すれば全世界に羽ばたいたに違いない絶好企画が動き出すも、残念ながら双方、頓挫してしまう。(この顛末の詳細は、田草川弘著の『黒澤明vs.ハリウッド』をご一読あれ!)
海外挑戦が失敗し、かつてないスランプに陥った黒澤監督…。そこに手を差し伸べたのが、木下恵介、市川崑、小林正樹という錚々たる名監督の面々であり、4人は協力して創作集団“四騎の会”を結成。黒澤監督の古巣である東宝スタッフも立ち上がり、監督は本作を製作する運びとなる。(ちなみに“四騎の会”は、その後、小林正樹監督の『化石』(75)を手掛けるにとどまり、残念ながら続きはしなかった)
本作の原作は、山本周五郎。『赤ひげ』と本作、作家人生の区切りとなる終わりと始めに同作家の連作短編をとりあげたのは興味深いところである。比較して見えてくるものが多々あろう。
とある郊外の廃墟のような貧しい街。知的障害のある六ちゃん(頭師佳孝)は毎日、他人には見えない架空の電車を運転し、街を周回していた。
そんなスラム街には、種々雑多な人々が住み着いている。
●足の長さが違い、顔面神経痙攣症の持病をもつ島さん(伴淳三郎)は、皆に好かれる好人物であったが、なぜかワイフ(丹下キヨ子)は性悪なグウタラで…。
●日雇労働者の増田(井川比佐志)と河口(田中邦衛)は、いつもつるんで仕事に行き、酔っぱらって帰る仲良しコンビ。ところがある夜、酔った二人はひょんなことから家を取り違えて一夜を過ごし、その日から家はおろか女房まで交換したまま平然と暮らし始めて…。
●廃車に住み着く浮浪者の父(三谷昇)と子供(川瀬裕之)は、いつも豪華な邸宅を建てる夢想に浸っていた。御託だけは一丁前に並べるも自らは働かない父のため、毎日、残飯を集めに飲み屋街に繰り出す子供であったが、ある日、もらった“しめ鯖”に二人は食中毒をおこしてしまい…。
●死人のような眼をし、無感情に生きる孤独な平さん(芥川比呂志)のもとに、元妻(奈良岡朋子)が現れ、一方的に世話を焼きはじめる。しかし平さんは一向に感情を表すことはなく…。
●浮気者の女房(楠侑子)をもつブラシ職人(三波伸介)は、それぞれ父親の違う5人の子供を我が子のように愛し、育てている。ある時、子供の一人がその事でいじめられていると職人に泣きついて…。
●調金職人の老人たんばさん(渡辺篤)は、街一番の良識人。でも街中で暴れる乱暴者(ジェリー藤尾)をいさめたり、家に入った泥棒(小島三児)に親切にしたりと、その行動はどこか凡人を超越しており…。
●伯父夫婦のもとで暮らす少女かつ子(山崎和子)は、伯母(辻伊万里)が入院したため、その代わりに日夜休みなく内職をさせられていた。しかも働かずに飲んでばかりいる伯父(松村達雄)の欲望の対象となってしまい、それがもとでかつ子はある事件を引き起こし…。
本作は、興行的に大コケしてしまい、ショックを受けた黒澤監督は自殺未遂騒動を引き起こし、日本映画界から10年間、遠ざかる結果と相成った。その後も日本映画界の疲弊や加齢もあってか、往年の勢いは戻らず、5年に1本と撮影ペースは極度に遅くなる。
とはいえ、本作の評価が低かったかというと、決してそんなことはない。キネマ旬報のベスト・テンの3位に選出され、そもそもアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされる快挙を達成している。
でも、観客が受け入れなかったのも、実は無理はない。
本作の公開年には、日本赤軍による日航機ハイジャック事件や三島由紀夫の割腹自殺が世を騒がせ、一方で大阪万博が開催され、高度経済成長にひた走る激動の時代であった。そうした前進的な世相に対し、古く後退的な本作の世界観は完全にズレており、当時の段階で本作を放つ戦略がいまいち窺えない。
さらに原作には、山本周五郎の作風である哀しくも温かい人情節が漂っているのだが、一転、本作は一種のファンタジーともいえるアプローチとなっている。本編で展開される世界は、リアルな汚しの割に生々しくなく、およそ現実の話とは思えない。ドギツイ色彩の中、エキセントリックな登場人物がおりなす幽界の群像劇である。
『赤ひげ』、『どん底』(57)と、これが同じ監督作だと一見して誰が分かろうか。
やはりこれは上記騒動の影響で、監督の作家精神が内面世界に閉じこもってしまったのだろう。いわば、心がガラパゴス化したのだから、世間と意識のズレが生じても詮なきこと。僕は本作以降の監督作全て、意識が外に向かうことはなかったように感じる。物語を牽引する三船敏郎や志村喬のような強力な外部の分身的存在を配置できなくなったことが、その病巣を象徴していよう。
当然、そうした作風の方向転換はこれまでのエンタメ路線とは180度異なるため、ファンにそっぽを向かれる羽目となる。が、それはそれでアバンギャルドな良さがあり、今一度、積極的に再評価していくべきであろう。
黒澤監督ほどの手腕ともなれば、どちらに転んでも並の作品が生まれる訳がない。
本作はそういう意味では過渡期の作品であり、さらに初カラーということで、かつてない迫力の異色作となっている。
黒澤監督は本作を、「リラックスして、明るく、軽く、可愛く、撮った」とおっしゃっているが、到底理解できない(笑)。
その言葉が似合うのは、武満徹の音楽のみ!今回の氏の音楽は、内容から浮き上がるほどにじんわりハートウォーミングである。
黒澤監督、小国英雄、橋本忍が共同で手掛けた脚色に関しては、まさに神の職人芸!
周囲に「電車バカ!」と罵られながらも想像上の電車を運転し、楽しく我が道を行く六ちゃん、一方、端からは現実逃避に見えない、ひたすら痛々しい乞食の父子の貧しき者の妄想。夫婦交換して平気な顔をしているおおらか(?)な夫婦と、妻の過去の姦通を頑なに許さず、抜け殻のようになっている平さん。悪妻に無償の愛をそそぐブラシ職人と島さん。自身の存在を好きな彼に示さんと、衝撃の行動におよんだかつ子の哀しいエピソード、等々…。
可笑しいものからシリアスなものまで、ごった煮にして、なおかつ相互作用させる見事なまとめぶりは唸らんばかり。
オープンセットが組まれたゴミ山の町の様相も、圧巻の迫力!いつもの如く凝りに凝った美術に見惚れてしまう。
この際、妙な色が浮き出た地面を喜んで活用した黒澤監督だが、実は土には近くで操業していた工場により、後に公害問題となる有毒の六価クロムが含まれていたそうな。ゾッとするシャレにならない逸話である。
今回、色彩に関して黒澤監督は、撮影法にこだわるというよりは、セットを奇抜な色に塗りたくり、地面に墨汁で影を書いたり、カメラの前に透明ガラスを置き、そこにマジックで色をつけたりと、被写体に直に色をつけていった。そのケバケバしい効果には賛否両論あるが、一見の価値はあろう。
役者陣も、『赤ひげ』の長坊役が鮮烈であった頭師佳孝が、本作のキーである六ちゃん役で見事なパントマイムを披露しているのをはじめ、菅井きん、三波伸介、芥川比呂志、奈良岡朋子、三谷昇、井川比佐志、田中邦衛、松村達雄、ジェリー藤尾、根岸明美、三井弘次、等々、黒澤組初参加の俳優たちも含め、バラエティ豊かな面々が勢揃い!
島さん役の伴淳三郎が同僚に瞬間的に怒りをぶちまけるシーン、たんばさん役の渡辺篤と自殺志願の老人役の藤原釡足の毒薬をめぐるやりとり、といったベテラン陣の圧倒的な長回し芝居は、一言、必見!
実力派役者陣のアンサンブルを眺めるだけでも、充分満腹感は得られよう。
まさに、生々しさを取り除いたうえで、“人間の本性”をあぶり出した、ジャンク・アートのユートピア!
一人の巨匠が内なる世界を開いた、ドラッキーな奇作をぜひご堪能あれ!
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映画が誕生して百云年。技術の進化により、その形態は数々の変節を遂げてきた。長いキャリアを誇る巨匠ともなれば、折々の革新にどう対応するかが問われよう。巨神、黒澤明もまた然り。
世がモノクロからカラーへと移りかわる際、黒澤監督は頑なに抵抗を続けたが、やはり時代の趨勢には購えなかった。それはカラー表現を否定していた訳ではなく、もともと画家志望であった監督の色に対するこだわりが強かったがゆえであった。こうして色を手に入れた監督は、一筋縄ではいかない独特のカラー作品を生み出していくこととなる。
という訳で本作は、記念すべき黒澤明初のカラー作品である。モノクロからカラーという区切りもさることながら、監督の人生的にも再出発となる重要作となった。
黒澤娯楽の集大成ともいえる『赤ひげ』(65)を放った後、監督は作家としてさらなるステップアップを望み、当然の如くその眼は海外に向けられた。一方、海外サイドも監督ほどの才能をほうっておくはずはなく、世界デビュー企画が次々に持ち込まれた。
そして、列車アクションの『暴走機関車』、真珠湾攻撃を描いた戦争大作『トラ!トラ!トラ!』と、実現すれば全世界に羽ばたいたに違いない絶好企画が動き出すも、残念ながら双方、頓挫してしまう。(この顛末の詳細は、田草川弘著の『黒澤明vs.ハリウッド』をご一読あれ!)
海外挑戦が失敗し、かつてないスランプに陥った黒澤監督…。そこに手を差し伸べたのが、木下恵介、市川崑、小林正樹という錚々たる名監督の面々であり、4人は協力して創作集団“四騎の会”を結成。黒澤監督の古巣である東宝スタッフも立ち上がり、監督は本作を製作する運びとなる。(ちなみに“四騎の会”は、その後、小林正樹監督の『化石』(75)を手掛けるにとどまり、残念ながら続きはしなかった)
本作の原作は、山本周五郎。『赤ひげ』と本作、作家人生の区切りとなる終わりと始めに同作家の連作短編をとりあげたのは興味深いところである。比較して見えてくるものが多々あろう。
とある郊外の廃墟のような貧しい街。知的障害のある六ちゃん(頭師佳孝)は毎日、他人には見えない架空の電車を運転し、街を周回していた。
そんなスラム街には、種々雑多な人々が住み着いている。
●足の長さが違い、顔面神経痙攣症の持病をもつ島さん(伴淳三郎)は、皆に好かれる好人物であったが、なぜかワイフ(丹下キヨ子)は性悪なグウタラで…。
●日雇労働者の増田(井川比佐志)と河口(田中邦衛)は、いつもつるんで仕事に行き、酔っぱらって帰る仲良しコンビ。ところがある夜、酔った二人はひょんなことから家を取り違えて一夜を過ごし、その日から家はおろか女房まで交換したまま平然と暮らし始めて…。
●廃車に住み着く浮浪者の父(三谷昇)と子供(川瀬裕之)は、いつも豪華な邸宅を建てる夢想に浸っていた。御託だけは一丁前に並べるも自らは働かない父のため、毎日、残飯を集めに飲み屋街に繰り出す子供であったが、ある日、もらった“しめ鯖”に二人は食中毒をおこしてしまい…。
●死人のような眼をし、無感情に生きる孤独な平さん(芥川比呂志)のもとに、元妻(奈良岡朋子)が現れ、一方的に世話を焼きはじめる。しかし平さんは一向に感情を表すことはなく…。
●浮気者の女房(楠侑子)をもつブラシ職人(三波伸介)は、それぞれ父親の違う5人の子供を我が子のように愛し、育てている。ある時、子供の一人がその事でいじめられていると職人に泣きついて…。
●調金職人の老人たんばさん(渡辺篤)は、街一番の良識人。でも街中で暴れる乱暴者(ジェリー藤尾)をいさめたり、家に入った泥棒(小島三児)に親切にしたりと、その行動はどこか凡人を超越しており…。
●伯父夫婦のもとで暮らす少女かつ子(山崎和子)は、伯母(辻伊万里)が入院したため、その代わりに日夜休みなく内職をさせられていた。しかも働かずに飲んでばかりいる伯父(松村達雄)の欲望の対象となってしまい、それがもとでかつ子はある事件を引き起こし…。
本作は、興行的に大コケしてしまい、ショックを受けた黒澤監督は自殺未遂騒動を引き起こし、日本映画界から10年間、遠ざかる結果と相成った。その後も日本映画界の疲弊や加齢もあってか、往年の勢いは戻らず、5年に1本と撮影ペースは極度に遅くなる。
とはいえ、本作の評価が低かったかというと、決してそんなことはない。キネマ旬報のベスト・テンの3位に選出され、そもそもアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされる快挙を達成している。
でも、観客が受け入れなかったのも、実は無理はない。
本作の公開年には、日本赤軍による日航機ハイジャック事件や三島由紀夫の割腹自殺が世を騒がせ、一方で大阪万博が開催され、高度経済成長にひた走る激動の時代であった。そうした前進的な世相に対し、古く後退的な本作の世界観は完全にズレており、当時の段階で本作を放つ戦略がいまいち窺えない。
さらに原作には、山本周五郎の作風である哀しくも温かい人情節が漂っているのだが、一転、本作は一種のファンタジーともいえるアプローチとなっている。本編で展開される世界は、リアルな汚しの割に生々しくなく、およそ現実の話とは思えない。ドギツイ色彩の中、エキセントリックな登場人物がおりなす幽界の群像劇である。
『赤ひげ』、『どん底』(57)と、これが同じ監督作だと一見して誰が分かろうか。
やはりこれは上記騒動の影響で、監督の作家精神が内面世界に閉じこもってしまったのだろう。いわば、心がガラパゴス化したのだから、世間と意識のズレが生じても詮なきこと。僕は本作以降の監督作全て、意識が外に向かうことはなかったように感じる。物語を牽引する三船敏郎や志村喬のような強力な外部の分身的存在を配置できなくなったことが、その病巣を象徴していよう。
当然、そうした作風の方向転換はこれまでのエンタメ路線とは180度異なるため、ファンにそっぽを向かれる羽目となる。が、それはそれでアバンギャルドな良さがあり、今一度、積極的に再評価していくべきであろう。
黒澤監督ほどの手腕ともなれば、どちらに転んでも並の作品が生まれる訳がない。
本作はそういう意味では過渡期の作品であり、さらに初カラーということで、かつてない迫力の異色作となっている。
黒澤監督は本作を、「リラックスして、明るく、軽く、可愛く、撮った」とおっしゃっているが、到底理解できない(笑)。
その言葉が似合うのは、武満徹の音楽のみ!今回の氏の音楽は、内容から浮き上がるほどにじんわりハートウォーミングである。
黒澤監督、小国英雄、橋本忍が共同で手掛けた脚色に関しては、まさに神の職人芸!
周囲に「電車バカ!」と罵られながらも想像上の電車を運転し、楽しく我が道を行く六ちゃん、一方、端からは現実逃避に見えない、ひたすら痛々しい乞食の父子の貧しき者の妄想。夫婦交換して平気な顔をしているおおらか(?)な夫婦と、妻の過去の姦通を頑なに許さず、抜け殻のようになっている平さん。悪妻に無償の愛をそそぐブラシ職人と島さん。自身の存在を好きな彼に示さんと、衝撃の行動におよんだかつ子の哀しいエピソード、等々…。
可笑しいものからシリアスなものまで、ごった煮にして、なおかつ相互作用させる見事なまとめぶりは唸らんばかり。
オープンセットが組まれたゴミ山の町の様相も、圧巻の迫力!いつもの如く凝りに凝った美術に見惚れてしまう。
この際、妙な色が浮き出た地面を喜んで活用した黒澤監督だが、実は土には近くで操業していた工場により、後に公害問題となる有毒の六価クロムが含まれていたそうな。ゾッとするシャレにならない逸話である。
今回、色彩に関して黒澤監督は、撮影法にこだわるというよりは、セットを奇抜な色に塗りたくり、地面に墨汁で影を書いたり、カメラの前に透明ガラスを置き、そこにマジックで色をつけたりと、被写体に直に色をつけていった。そのケバケバしい効果には賛否両論あるが、一見の価値はあろう。
役者陣も、『赤ひげ』の長坊役が鮮烈であった頭師佳孝が、本作のキーである六ちゃん役で見事なパントマイムを披露しているのをはじめ、菅井きん、三波伸介、芥川比呂志、奈良岡朋子、三谷昇、井川比佐志、田中邦衛、松村達雄、ジェリー藤尾、根岸明美、三井弘次、等々、黒澤組初参加の俳優たちも含め、バラエティ豊かな面々が勢揃い!
島さん役の伴淳三郎が同僚に瞬間的に怒りをぶちまけるシーン、たんばさん役の渡辺篤と自殺志願の老人役の藤原釡足の毒薬をめぐるやりとり、といったベテラン陣の圧倒的な長回し芝居は、一言、必見!
実力派役者陣のアンサンブルを眺めるだけでも、充分満腹感は得られよう。
まさに、生々しさを取り除いたうえで、“人間の本性”をあぶり出した、ジャンク・アートのユートピア!
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