現代に甦りし、伝説の青春少女漫画ではあるのだが…?!
安定ヒットを狙った手堅いつくりではあれ、ちょっと物足りない一作であった。
本作は、86〜87年に別冊マーガレットで連載され、当時の若者の熱狂的支持をうけた紡木たくの同名少女漫画の映画化。原作者のお墨付きを得て、ようやくの実写版実現となった。が、当時の時代性を色濃く反映させた作品であるだけに、その古さをどう現代に成立させたのか?そんなことが可能なのか?不安一杯の企画であるのは確か。
加えて、なんといっても朝ドラ『あまちゃん』(13)で大ブレイクした能年玲奈ちゃんのドラマ後初主演の映画であり、今後をうらなう重要作として俄然、注目を浴びている本作。はたしてどんな作品に仕上がっているのか、ハラハラドキドキしてスクリーンに臨んだのだが…!?
1980年代。14歳の少女、和希(能年玲奈)は幼い頃に父親を亡くし、母親(木村佳乃)と二人暮らし。母親は現在、高校生時代から好き合っていた男(小澤征悦)と不倫中であり、自分が望まれた子供でなかったことを和希は一人思い悩み、窮屈な生活をおくっていた。そんなある夜、転校生の絵里(竹富聖花)に誘われ、湘南に赴いた和希は、ガソリンスタンドでバイトする暴走族“NIGHTS”のメンバー春山(登坂広臣)と出会う。はじめは何かと衝突し合う二人であったが、孤独な境遇に共感し、次第に距離を縮めていく。しかし春山はNIGHTSの総頭を引き継ぐことになり、敵対グループとの抗争に巻き込まれていき…。
映画化の報を聞いた際、まず思ったのが原作の設定通り80年代のままにするのか、現代に移し替えるのかという判断である。どちらも難しいのでは?と内心、危惧していたが、本作では一応、原作に準じた時代となっている。
ただ、字幕が出たりの説明はなく、TVに当時の番組が写ったりだとか、流行の音楽だとかの風俗描写はナシ。極力、時代性を感じさせないように慎重に撮られている。携帯電話がなかったり、制服の着こなしであったり、ちょっとしたことで窺えはするものの、過去であって過去でないような何処かフワフワした世界観で物語は綴られていく。
同時に、不良文化の要素も根こそぎ削ぎ落とされている。酒、煙草、シンナー、和希の有名な自傷行為等は全てカット。今さら暴走族なんて…という意見をあざ笑うように、そっち方面の生態はほとんど触れられない。要するに周囲の生々しさを取っ払ってぼやかし、和希と春山の青春ドラマにピントを合わせている訳である。
間違いを犯してしまう弱い親(大人)たちが汚いものに見え、社会に背を向けて刹那的な快楽に身をゆだねる和希と春山。裏腹な言葉を吐き、誰にも分かってもらえず焦燥を募らせる。「甘え」と片付けるにはあまりに純粋なその気持ち。愛に飢え、自分の居場所を見つけられずにもがく似た者同士の二人が、傷つけ合いながら心を通わせていく。
そんな二人を通して、「自分は誰かに大切にされているということを、大人は教えていかなければならない」という普遍的な問題提起を浮かび上がらせる仕組みである。
ネグレクトや子供の犯罪といった痛ましい事件が横行している昨今、本作を観ると、それらの受け皿に不良たちの仲間意識が幸か不幸か機能している事実が興味深い。現在はそうした不良ネットワークも希薄になってしまったのだろうか。
ことほどさように、和希の春山に特化した構成としては当テーマが現代性をもって迫って来よう。
また、上記したある種ファンタジーなノリなので、能年玲奈と登坂広臣がそれぞれ中学生と高校生を演じる年齢問題もさほど気にはならなかった。イメージが違い過ぎると賛否両論を呼んでいる登坂広臣のキャスティングも、春山のエピソード自体が大幅カットされているので、心配したほどの引っ掛かりはない。
…が、目論見はわかっても漫画『ホットロード』の映画化として成功しているかというと、ハッキリいって微妙なところである。
余白の演出やモノローグ、情景インサートと原作の詩情を最大限伝えんとした工夫は認めたい。でも、あえてオシャレっぽい非リアルな世界観にした為、内にとぐろを巻く登場人物のひりひりした感情、死に吸い込まれていく春山の危険さ、そこに和希が惹かれていく心情が真に迫らず、どうも嘘くさい。それはリアルに画となる映像と漫画の表現の差でもあり、なんとなくサクサクと流れるPVをみせられているような軽い印象をどうしても受けてしまう。
我らが能年玲奈ちゃんも終始出ずっぱりでキラキラ・オーラではなく、表情の変化でもたせる陰のオーラで存在感をみせてはいるが、役を演じている感がつきまとい演技下手にみえる。これも本作が造り出したマイルドというより表層的な演出の弊害だ。
エンドロールに流れる尾崎豊の『OH MY LITTLE GIRL』でつい感傷に流されそうになるが、個人的には当曲はあくまでドラマ『この世の果て』(94)の主題歌。おいそれと誤魔化されはしない。
よって本作、はたしてこれを『ホットロード』の映画化といっていいのか?と首を傾げるほど原作の味は出ていない。
他方、未読の若い層への波及としては無難にまとまっており、携帯小説の恋愛映画並には受け入れられよう。そもそも商売的にそこを目指したというのなら、もはや何もいうまい。
原作をバイブルとして大切にしている人たちは避けた方が賢明である。
僕個人としては、現実的ではないにせよ、原作の時代性やヤンキー文化を含めて酸いも甘いも徹底再現し、社会批評の視点を加えた方が本題材を扱うにおいては理に叶っていると思うのだが…。
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安定ヒットを狙った手堅いつくりではあれ、ちょっと物足りない一作であった。
本作は、86〜87年に別冊マーガレットで連載され、当時の若者の熱狂的支持をうけた紡木たくの同名少女漫画の映画化。原作者のお墨付きを得て、ようやくの実写版実現となった。が、当時の時代性を色濃く反映させた作品であるだけに、その古さをどう現代に成立させたのか?そんなことが可能なのか?不安一杯の企画であるのは確か。
加えて、なんといっても朝ドラ『あまちゃん』(13)で大ブレイクした能年玲奈ちゃんのドラマ後初主演の映画であり、今後をうらなう重要作として俄然、注目を浴びている本作。はたしてどんな作品に仕上がっているのか、ハラハラドキドキしてスクリーンに臨んだのだが…!?
1980年代。14歳の少女、和希(能年玲奈)は幼い頃に父親を亡くし、母親(木村佳乃)と二人暮らし。母親は現在、高校生時代から好き合っていた男(小澤征悦)と不倫中であり、自分が望まれた子供でなかったことを和希は一人思い悩み、窮屈な生活をおくっていた。そんなある夜、転校生の絵里(竹富聖花)に誘われ、湘南に赴いた和希は、ガソリンスタンドでバイトする暴走族“NIGHTS”のメンバー春山(登坂広臣)と出会う。はじめは何かと衝突し合う二人であったが、孤独な境遇に共感し、次第に距離を縮めていく。しかし春山はNIGHTSの総頭を引き継ぐことになり、敵対グループとの抗争に巻き込まれていき…。
映画化の報を聞いた際、まず思ったのが原作の設定通り80年代のままにするのか、現代に移し替えるのかという判断である。どちらも難しいのでは?と内心、危惧していたが、本作では一応、原作に準じた時代となっている。
ただ、字幕が出たりの説明はなく、TVに当時の番組が写ったりだとか、流行の音楽だとかの風俗描写はナシ。極力、時代性を感じさせないように慎重に撮られている。携帯電話がなかったり、制服の着こなしであったり、ちょっとしたことで窺えはするものの、過去であって過去でないような何処かフワフワした世界観で物語は綴られていく。
同時に、不良文化の要素も根こそぎ削ぎ落とされている。酒、煙草、シンナー、和希の有名な自傷行為等は全てカット。今さら暴走族なんて…という意見をあざ笑うように、そっち方面の生態はほとんど触れられない。要するに周囲の生々しさを取っ払ってぼやかし、和希と春山の青春ドラマにピントを合わせている訳である。
間違いを犯してしまう弱い親(大人)たちが汚いものに見え、社会に背を向けて刹那的な快楽に身をゆだねる和希と春山。裏腹な言葉を吐き、誰にも分かってもらえず焦燥を募らせる。「甘え」と片付けるにはあまりに純粋なその気持ち。愛に飢え、自分の居場所を見つけられずにもがく似た者同士の二人が、傷つけ合いながら心を通わせていく。
そんな二人を通して、「自分は誰かに大切にされているということを、大人は教えていかなければならない」という普遍的な問題提起を浮かび上がらせる仕組みである。
ネグレクトや子供の犯罪といった痛ましい事件が横行している昨今、本作を観ると、それらの受け皿に不良たちの仲間意識が幸か不幸か機能している事実が興味深い。現在はそうした不良ネットワークも希薄になってしまったのだろうか。
ことほどさように、和希の春山に特化した構成としては当テーマが現代性をもって迫って来よう。
また、上記したある種ファンタジーなノリなので、能年玲奈と登坂広臣がそれぞれ中学生と高校生を演じる年齢問題もさほど気にはならなかった。イメージが違い過ぎると賛否両論を呼んでいる登坂広臣のキャスティングも、春山のエピソード自体が大幅カットされているので、心配したほどの引っ掛かりはない。
…が、目論見はわかっても漫画『ホットロード』の映画化として成功しているかというと、ハッキリいって微妙なところである。
余白の演出やモノローグ、情景インサートと原作の詩情を最大限伝えんとした工夫は認めたい。でも、あえてオシャレっぽい非リアルな世界観にした為、内にとぐろを巻く登場人物のひりひりした感情、死に吸い込まれていく春山の危険さ、そこに和希が惹かれていく心情が真に迫らず、どうも嘘くさい。それはリアルに画となる映像と漫画の表現の差でもあり、なんとなくサクサクと流れるPVをみせられているような軽い印象をどうしても受けてしまう。
我らが能年玲奈ちゃんも終始出ずっぱりでキラキラ・オーラではなく、表情の変化でもたせる陰のオーラで存在感をみせてはいるが、役を演じている感がつきまとい演技下手にみえる。これも本作が造り出したマイルドというより表層的な演出の弊害だ。
エンドロールに流れる尾崎豊の『OH MY LITTLE GIRL』でつい感傷に流されそうになるが、個人的には当曲はあくまでドラマ『この世の果て』(94)の主題歌。おいそれと誤魔化されはしない。
よって本作、はたしてこれを『ホットロード』の映画化といっていいのか?と首を傾げるほど原作の味は出ていない。
他方、未読の若い層への波及としては無難にまとまっており、携帯小説の恋愛映画並には受け入れられよう。そもそも商売的にそこを目指したというのなら、もはや何もいうまい。
原作をバイブルとして大切にしている人たちは避けた方が賢明である。
僕個人としては、現実的ではないにせよ、原作の時代性やヤンキー文化を含めて酸いも甘いも徹底再現し、社会批評の視点を加えた方が本題材を扱うにおいては理に叶っていると思うのだが…。
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