お弁当がつむぐ、インド産人情劇!
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お弁当文化の深遠さと、しっとりとした大人の恋愛劇を堪能できる好編であった。
本作は、カンヌ国際映画祭、批評家週間の観客賞受賞を皮切りに、ヨーロッパ各地で異例の大ヒットを記録。インド映画の歴史を塗り替えたといわれる話題作だ。傷心の中年男とくたびれた主婦とのプラトニック・ラヴなど、日頃の憂さをはらす、歌って踊るお祭り騒ぎのボリウッド・ムービーとは正反対。およそ日本でも成立し辛い本企画を成功に導いたというのだから、その衝撃や推して知るべし、である。
監督は、サンダンス・インスティチュートでロバート・レッドフォードの教えをうけたリテーシュ・バトラ。長編デビューとなる本作で見事、国際色豊かなスタッフをまとめあげた新潮流の人材だ。
もはやアクション分野では行きつくところまで行きついた感のあるマサラ・ムービー。考えてみれば、サタジット・レイを生んだ当国である。ドラマ分野でも頭角を現してくるのは何の不思議もない。その真価をこの眼で確かめるべく、劇場へ向かったのだが…!?
インド、ムンバイ。郊外に住む主婦イラ(ニムラト・カウル)は、ビジネスマンの夫(ナクル・ヴァイド)と小学生の娘と3人暮らし。最近、冷え気味の夫との関係を修復すべくイラは、まずは胃袋をつかもうと、腕によりをかけてお弁当をつくることに。ところが、弁当配達人の手違いで、イラのつくったお弁当が、早期退社を控えた保険会社の会計係サージャン(イルファーン・カーン)に届けられてしまう。妻に先立たれ、やもめ暮らしであったサージャンは、久々の美味しい手料理に感激するのであった。一方、空っぽになって戻ってきた弁当箱に喜ぶイラであったが、夫の反応から誤配されたことを察知。次の日、イラはお弁当に手紙を忍ばせて送り、受けとったサージャンも事態を飲みこむのであった。こうしてお弁当を通した文通が二人の間ではじまり、イラは悩みを相談し、サージャンも次第に手紙入りのお弁当を待ちわびるようになり…。
妻を亡くし、話し相手のなくなったサージャンは日々に何の楽しみも見出せない、早期退職を望む孤独な男。
専業主婦のイラは、子供の世話だけをする味気ない日々にむなしさを募らせている。
暮らしに不自由はないが、サージャンにはすぐに自分の代わりとなる後輩が現れ、イラも夫に空気のように扱われ、自身の存在意義を見出せない。ムンバイという大都会がつくりだす忙しい奔流の中で二人は取り残され、時間だけを浪費する空虚さに苛まれている。
そんな二人が偶然、間接的に心を通わせ、お互いの隙間を埋めるように胸に光をポッと灯していく。
その手段がお弁当を介した文通というのが、絶妙だ。メールやSNSに対する手紙の是非というより、この時間差と手間暇が二人に合っていよう。現にはじめは、メールのような素っ気ないやりとりをしているのが微笑ましい。二人だけの特別な時空が形成されていく恋のプロセスが、よく伝わってくる。
ことほどさように、奥ゆかしい手紙のやりとり同様、最後まで抑制された演出は、淡々として退屈にも感じられよう。しかし、むしろこのゆったりとした時間に心地良く浸る作品である。
はたして、二人はどんな顛末を辿るのか?ぜひご自身の眼でご確認を。
ただ若干、イラ役の女優さんが美し過ぎるのが、難点ではある。こんないい女をおいて浮気する旦那の感覚がちょっと解せない。
とはいえ、そこを補う他のリアルさは圧倒的だ。ムンバイの日常の生活模様の繊細さに、眼を奪われっ放しであった。すし詰めの通勤電車や、パソコンのない社内風景(雇用数を減らさないために、あえてマニュアルで処理しているという)、イラと上の階に住むおばさんとの微笑ましいご近所付き合い、そして「へぇ〜」となることうけあいの弁当宅配システム。ムンバイでは、“ダッバーワーラー”と呼ばれる弁当配達人が各家庭からできたてのお弁当を集荷して、オフィスに届けるという配達サービスが確立されており、誤配送の確率は“600万分の1”なのだとか。その実態も本作を観れば、よく分かる。
そして、ナンやカレー、おかずが入った四段重ねのお弁当箱。これがまたおいしそうで、観終わったらインド料理屋に直行である。
他方、コメディリリーフとなるサージャンの後輩(ナワーズッディーン・シッディーキー)の存在が、現代インドの社会問題をさり気なく体現。こうしたスパイスを効かせる作劇も、本作の上手いところ。
異文化には違いないのだが、リアルに描けば描くほど、市井の人々の感情は普遍的に迫ってくる。所詮は同じ人間なのだ。世界の共通言語である映画の効能を、まざまざと思い知らされよう。
いうまでもなく日本の優れたお弁当文化は、世界に誇るコンテンツのひとつである。つくり手の想いのこもっている上に健康的という申し分ないアイテムでありながら、どうしても手間がかかってしまう。個人的にも、学生時代に毎朝用意してくれた母親への感謝の気持ちは絶えることがない。他人につくってもらう際は、この感謝の気持ちもまたセットであり、まさにお弁当は人情文化の集成といえよう。お弁当を扱った映画が人情モノになるのは必然である。
人は間違った電車に乗っても、正しい場所に辿り着く。人生捨てたもんじゃない。多くを語り過ぎない本作のラストは、観客それぞれの心にほどよい満腹感を与えてくれるだろう。
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お弁当文化の深遠さと、しっとりとした大人の恋愛劇を堪能できる好編であった。
本作は、カンヌ国際映画祭、批評家週間の観客賞受賞を皮切りに、ヨーロッパ各地で異例の大ヒットを記録。インド映画の歴史を塗り替えたといわれる話題作だ。傷心の中年男とくたびれた主婦とのプラトニック・ラヴなど、日頃の憂さをはらす、歌って踊るお祭り騒ぎのボリウッド・ムービーとは正反対。およそ日本でも成立し辛い本企画を成功に導いたというのだから、その衝撃や推して知るべし、である。
監督は、サンダンス・インスティチュートでロバート・レッドフォードの教えをうけたリテーシュ・バトラ。長編デビューとなる本作で見事、国際色豊かなスタッフをまとめあげた新潮流の人材だ。
もはやアクション分野では行きつくところまで行きついた感のあるマサラ・ムービー。考えてみれば、サタジット・レイを生んだ当国である。ドラマ分野でも頭角を現してくるのは何の不思議もない。その真価をこの眼で確かめるべく、劇場へ向かったのだが…!?
インド、ムンバイ。郊外に住む主婦イラ(ニムラト・カウル)は、ビジネスマンの夫(ナクル・ヴァイド)と小学生の娘と3人暮らし。最近、冷え気味の夫との関係を修復すべくイラは、まずは胃袋をつかもうと、腕によりをかけてお弁当をつくることに。ところが、弁当配達人の手違いで、イラのつくったお弁当が、早期退社を控えた保険会社の会計係サージャン(イルファーン・カーン)に届けられてしまう。妻に先立たれ、やもめ暮らしであったサージャンは、久々の美味しい手料理に感激するのであった。一方、空っぽになって戻ってきた弁当箱に喜ぶイラであったが、夫の反応から誤配されたことを察知。次の日、イラはお弁当に手紙を忍ばせて送り、受けとったサージャンも事態を飲みこむのであった。こうしてお弁当を通した文通が二人の間ではじまり、イラは悩みを相談し、サージャンも次第に手紙入りのお弁当を待ちわびるようになり…。
妻を亡くし、話し相手のなくなったサージャンは日々に何の楽しみも見出せない、早期退職を望む孤独な男。
専業主婦のイラは、子供の世話だけをする味気ない日々にむなしさを募らせている。
暮らしに不自由はないが、サージャンにはすぐに自分の代わりとなる後輩が現れ、イラも夫に空気のように扱われ、自身の存在意義を見出せない。ムンバイという大都会がつくりだす忙しい奔流の中で二人は取り残され、時間だけを浪費する空虚さに苛まれている。
そんな二人が偶然、間接的に心を通わせ、お互いの隙間を埋めるように胸に光をポッと灯していく。
その手段がお弁当を介した文通というのが、絶妙だ。メールやSNSに対する手紙の是非というより、この時間差と手間暇が二人に合っていよう。現にはじめは、メールのような素っ気ないやりとりをしているのが微笑ましい。二人だけの特別な時空が形成されていく恋のプロセスが、よく伝わってくる。
ことほどさように、奥ゆかしい手紙のやりとり同様、最後まで抑制された演出は、淡々として退屈にも感じられよう。しかし、むしろこのゆったりとした時間に心地良く浸る作品である。
はたして、二人はどんな顛末を辿るのか?ぜひご自身の眼でご確認を。
ただ若干、イラ役の女優さんが美し過ぎるのが、難点ではある。こんないい女をおいて浮気する旦那の感覚がちょっと解せない。
とはいえ、そこを補う他のリアルさは圧倒的だ。ムンバイの日常の生活模様の繊細さに、眼を奪われっ放しであった。すし詰めの通勤電車や、パソコンのない社内風景(雇用数を減らさないために、あえてマニュアルで処理しているという)、イラと上の階に住むおばさんとの微笑ましいご近所付き合い、そして「へぇ〜」となることうけあいの弁当宅配システム。ムンバイでは、“ダッバーワーラー”と呼ばれる弁当配達人が各家庭からできたてのお弁当を集荷して、オフィスに届けるという配達サービスが確立されており、誤配送の確率は“600万分の1”なのだとか。その実態も本作を観れば、よく分かる。
そして、ナンやカレー、おかずが入った四段重ねのお弁当箱。これがまたおいしそうで、観終わったらインド料理屋に直行である。
他方、コメディリリーフとなるサージャンの後輩(ナワーズッディーン・シッディーキー)の存在が、現代インドの社会問題をさり気なく体現。こうしたスパイスを効かせる作劇も、本作の上手いところ。
異文化には違いないのだが、リアルに描けば描くほど、市井の人々の感情は普遍的に迫ってくる。所詮は同じ人間なのだ。世界の共通言語である映画の効能を、まざまざと思い知らされよう。
いうまでもなく日本の優れたお弁当文化は、世界に誇るコンテンツのひとつである。つくり手の想いのこもっている上に健康的という申し分ないアイテムでありながら、どうしても手間がかかってしまう。個人的にも、学生時代に毎朝用意してくれた母親への感謝の気持ちは絶えることがない。他人につくってもらう際は、この感謝の気持ちもまたセットであり、まさにお弁当は人情文化の集成といえよう。お弁当を扱った映画が人情モノになるのは必然である。
人は間違った電車に乗っても、正しい場所に辿り着く。人生捨てたもんじゃない。多くを語り過ぎない本作のラストは、観客それぞれの心にほどよい満腹感を与えてくれるだろう。
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