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Channel: 相木悟の映画評
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『未来は今』 (1994)

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珍奇なり、コーエン流ハートウォーミング・コメディー!



格差社会や就職難、高齢化問題と何かと世知辛い昨今。荒んだ心を癒してくれるのもまた映画特効薬の効能である。
中でも、時代を越えて愛される、小市民の幸福と善意を謳ったハートウォーミングなフランク・キャプラの映画群は、まさに人類の宝。そんなバファリン並のマスターピースであるキャプラ映画に我らがコーエン兄弟が挑んだのが、何を隠そう本作である。
一見、シニカルなブラック・ユーモアのコーエン節とキャプラスクはミスマッチなようでいて、絶妙な化学反応が期待できる興味深い組み合わせといえよう。
本作は、兄弟の監督第5作であり、インディーズ・デビューから着実に成果をあげてきた兄弟が大物プロデューサー、ジョエル・シルヴァーのバックアップを受けた初の大予算映画。兄貴分のサム・ライミを共同脚本、第二班監督に招いている。
大手製作会社に満を持して雇われるものの、商業性において対立するのはインディーズ作家が一度は通る壁。今回も例にもれずワーナーと兄弟は対立し、結果、興行的に大コケとなってしまった。
が、それが鬱憤を晴らすように作家性を爆裂させる傑作『ファーゴ』(96)へと結びつくのだから、人の世に無駄なモノなどありはしない(笑)。
とはいえ、本作は失敗作などではむろんなく、揉めた割にはちゃんと兄弟の味が醸し出ている良品である。

1985年のニューヨーク。大学を卒業し、田舎から上京してきたノーヴィル・バーンズ(ティム・ロビンス)は、さっそく仕事探しをはじめるも、求人は経験者をもとめるものばかり。途方にくれていたところ、ひょんなことから眼についた広告により、なんとか大企業ハッドサッカー社の郵便室に職を得るのであった。
一方、その頃、ハッドサッカー社の上層部では社長(チャールズ・ダーニング)が重役会議の場で突如、飛び降り自殺する事件が発生。社長は遺書も残さず相続人もいなかった為、保有株が年明けには市場に開放される運びとなった。そこで取締役のマスバーガー(ポール・ニューマン)は役立たずを社長に抜擢し、会社の株を暴落させて買収する悪だくみを発案。たまたま彼の前で間抜けぶりを見せつけたノーヴィルを、あろうことか社長に仕立て上げるのであった。
予想通り、ノーヴィルは念願であった輪っかのおもちゃ“フラフープ”を売り出し、重役の冷笑を浴びながら順調に株価を下げていくのだが、ある時、“フラフープ”がまさかの大ブームを巻き起こしてしまい…。

冒頭。ふわふわと降り注ぐ雪の夜空、玩具の模型のように浮かぶ摩天楼の幻想的なカットに、即ノックアウト。一気にファンシーな世界観に引きずり込まれてしまう。
続いて、純朴な青年ノーヴィルがハッドサッカー社の職にありつくまでと、社長が自殺を決行するまでを簡潔に見せきる手際がまた素晴らしいの一言!ノーヴィルという青年の性質と未来の運命を、軽妙洒脱かつ象徴的に表現している。加えて、社長の死のビジュアル・インパクトとそれを眼にした重役陣のリアクションの可笑しさたるや!あれこれ詳しくは記さない。映画演出の冴えが凝縮された当シークエンスだけでも、本作を観る価値はあろう。映画偏差値の高い兄弟の才能の豊かさに、ただただ唸る。

そしてココから、『オペラハット』(36)、『スミス都へ行く』(39)、『群衆』(41)、『素晴らしき哉、人生!』(46)等々、キャプラ映画の寄せ集めともいえるストーリーが開幕。
傀儡社長として祀り上げられるも、まさかのヒット商品開発で天狗になってしまい、初志を忘れるノーヴィル、陰謀を嗅ぎ付け、ノーヴィルの秘書として潜入捜査を試みるも、結局、彼の善良さに陥落し良心の呵責に悩む敏腕新聞記者エイミー(ジェニファー・ジェイソン・リー)、他、ネームプレートを扉に刻む職人、時計職人、おしゃべりのドアマンといった“らしい”キャラがわんさか登場。クラシック・ファンをニヤリとさせる。

ウィットに富んだ会話とテンポのいいシャレた演出、所狭しと仕込まれたネタは兄弟作品の中で一番の手数といえよう。また膝を叩くほど、全てが上手い!
あっと驚く天使と悪魔(誰が天使で誰が悪魔なのかは、観てのお楽しみ!)の決戦、あっと驚くラストのミラクル、と兄弟独特の人を喰った“毒”も健在であるのがニクイところである。
美術も予算が潤沢な分、他の兄弟作品では考えられないほど豪華絢爛な点にもご注目。『未来世紀ブラジル』(85)へのオマージュに、これまたファンをニヤリとさせる。

しかし、それらが全て噛み合っているかというと、残念ながらそうでもない。ビッグバシェットのコントロール、キャプラ映画、コーエン兄弟の作家性、と各々の要素が不協和音を奏で、一種、異様な映画になっている。
第一に、パロディに寄り過ぎて、ストーリーがおざなりになっており、ブラック・コメディにもハートウォーミングなエンタメにも、スムーズに弾けきらない、どう観たらいいのか迷う仕上がりになってしまった。
キャラクターに関しても、乾いた感じが兄弟の持ち味とはいえ、ノーヴィルの人物性がいまいちよく伝わってこない。キャプラ映画の愛すべき主人公とは異なり、単なる変人に堕している。
それに根本的にキャラクターたちが、あまり躍動をしていないのも致命傷といえよう。クライマックスの問題解決方法が“人任せ”というのは如何なものか?
よって、上記した高度な造り込みの割に、如何せんパンチがなく、おそろしく地味で味気ない印象になってしまった。当てが外れた観客に見放されたのも、むべなるかな。
ただ、コーエン兄弟のフィルモグラフィの中の一環として、今なら新たな楽しみ方で再評価できよう。

キャスト陣もいわゆる常連組は少なく、フレッシュな陣営となっている。
主人公ノーヴィルに扮したのは、ティム・ロビンス。ぬぼっとした長身を駆使し、朴訥なコメディアンぶりを発揮している。
当年は『ショーシャンクの空に』の公開もあり、ステップアップの年となった。
悪役となる取締役のマスバーガーを演じたのは、映画史に残る名優ポール・ニューマン。まさかの大物登場である。悪役であるのに有能なのか無能なのか、よく分からない微妙なキャラであるのが残念無念。本役がもっとキリッと締まっていれば、今少し印象は変わっていたかもしれない。本人が楽しそうに演じているのが救いといえようか。
あと社長役でチャールズ・ダーニングが出演しており、せっかくなら共演シーンが観たかったところである。
ヒロインのエイミー役のジェニファー・ジェイソン・リーの可愛らしさもまたGOOD。
チョイ役で顔を出し、ちゃっかり場をさらうお馴染みスティーヴ・ブシェーミの怪演もお見逃しなく。

さて。
本作は、“円”がキービジュアルとなっており、時計やフラフープとさまざまな形で本編に登場し、もうひとつの重要エレメントである“落下”と関わってくる。
そう、落下行為も繰り返せば円となり、“浮き沈み”=“成功と失敗”があってこそ人生であるというメッセージを本作は投げかけている訳だ。
これには誰しも勇気付けられよう。僕も観る度に元気をもらっている。

フラフープは実は起源が定かではないほど、その歴史は古く、古代エジプトや古代ギリシャの時代にすでに輪っかの玩具が存在していたのだとか。
いにしえの昔から人類は件の円の教えを、潜在的にさとっていたのだろう。

ちなみに本作は、フラフープを再開発したWham-O社をモデルにしたフィクションなので、鵜呑みにして大恥をかかぬよう、くれぐれもご注意を。


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