人間の愚かさを説く、妖しき普遍ホラー!
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トリッキーに醸成された世界観に陶酔すべき作品であることは、重々理解できるのだが…。
多ジャンルを手掛け、縦横無尽の活躍をみせる日本一忙しい監督、三池崇史。その腕前はホラー分野においてもいかんなく発揮され、ホラー映画のオールタイム・ランキングで『オーディション』(00)が選出される等、世界的に認められているのはご存じの通り。(本人は、得意じゃないとおっしゃっているが…)
それが今回、柴咲コウと市川海老蔵、伊藤英明という三池作品の主演スターをゾロリと揃え、日本三大怪談のひとつにあげられる古典『四谷怪談』に挑むというのだから只事ではない。(原作は、山岸きくみの小説『誰にもあげない』)
どうスタンダードを料理して、ぶち壊してくれたのか?納涼気分で劇場へ出かけたのだが…!?
舞台『真四谷怪談』でお岩を演じる有名女優、後藤美雪(柴咲コウ)と伊右衛門役の長谷川浩介(市川海老蔵)は、実生活でも恋人同士。売れない俳優である浩介に甲斐甲斐しくつくす美雪であるが、浮気癖のある浩介はどこ吹く風。舞台稽古がはじまると、お梅役の新人女優、朝比奈莉緒(中西美帆)に手を出す始末であった。不貞の限りをつくす浩介に対し、平静を装う美雪であったが、次第にその行動は常軌を逸していき、浩介も怪現象に悩まされる羽目に。そして次第に二人は芝居と現実の区別がつかない狂気の世界へのめり込んでいき…。
本編は、現代の俳優たちが織り成す愛憎劇と、彼らが出演する舞台『真四谷怪談』のリハーサルである劇中劇が、交錯して紡がれていく。
伊右衛門を演じる浩介は役と同様、出世の道具に女性を利用して世を渡っていく女たらし。お岩役の美雪とお梅役の莉緒との関係が、そのまま『四谷怪談』へとシンクロし、やがて虚構と現実が混濁。今も昔も人間は、特に男は同じ過ちを繰り返している愚かさを浮かび上がらせるシステムだ。文明は利便化し、歌舞伎や落語、映画の題材に使い古されてきた『四谷怪談』という出し物の見せ方も技術発展してきているにも関わらず、人間の内面は変わっていない皮肉。真に進化すべきところは放置されている現状を、ほとほと考えさせられよう。
伊右衛門=浩介役に市川海老蔵を配した効能も見逃せない。齢を経てイメージがお茶目に丸くなってきた昨今、プライベートを役と重ね合わせるのは意地悪というもの。それよりも、やはり歌舞伎という伝統の担い手である氏が本役を演じることによって、教訓話の普遍性といったテーマがより深く浮きたつ。
特殊メイクを辞さず、お岩=美雪役を体当たりで熱演した柴咲コウの美しき狂気も必見だ。確実に本作の主役は、彼女である。
宅悦役の伊藤英明は気分良さげに怪演を披露しており、願わくば、もっと主演二人と絡んで欲しかった。
三池崇史監督の演出も、あえて説明を廃した不穏な語り口、丹念につくられた画、それでいてグロいケレン味溢れるサービス精神(?)と円熟の味を披露。
もはや『四谷怪談』は古典過ぎて、そのままやっても通じないと変化球に挑んだ判断も正解であったと思う。特に時代劇の『四谷怪談』パートをリハーサル空間という舞台調にし、異界にした試みは絶妙であった。つくり込まれた舞台美術が幽玄な香りを発し、戸板返しのギミック等、押さえるべきところを押さえる趣向もみどころだ。
…と、1カット1カットに滋味があり、美雪のちょっとしたセリフや、大量のパスタと妊娠検査薬等々、深層心理を探り、虚構と現実の境界の謎解きをする興味等、深読みして世界観に浸るべき作品であるのは分かる。が、如何せん、面白いかというと正直、退屈であった。
現代パートからして関係性は察せられるものの、登場人物に入りにくく、海老蔵氏の抑揚がない虚無な芝居もとっつきにくい。
舞台パートになると、より一層入りにくく、出てくる人物が皆異常すぎて、物語の基本であるはずの情念がいまいち伝わってこなかった。客観的に眺めているのみで、怖くもなんともない。
企画自体はよく練られて、気合が入ってはいるものの、空回りしてしまった印象である。実に惜しい。
でもラストだけは、男の身で心底戦慄した。思い起こせば、現代の浩介は伊右衛門ほど一線を越えるひどい行為はしていない。あらゆる意味で、結局は女性がキーを握っている事実を本作は強調。お岩=美雪の怨念は、本家越えである。
つくづく先代の残した教訓は、後世に活かさねば…と痛感した次第である。
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トリッキーに醸成された世界観に陶酔すべき作品であることは、重々理解できるのだが…。
多ジャンルを手掛け、縦横無尽の活躍をみせる日本一忙しい監督、三池崇史。その腕前はホラー分野においてもいかんなく発揮され、ホラー映画のオールタイム・ランキングで『オーディション』(00)が選出される等、世界的に認められているのはご存じの通り。(本人は、得意じゃないとおっしゃっているが…)
それが今回、柴咲コウと市川海老蔵、伊藤英明という三池作品の主演スターをゾロリと揃え、日本三大怪談のひとつにあげられる古典『四谷怪談』に挑むというのだから只事ではない。(原作は、山岸きくみの小説『誰にもあげない』)
どうスタンダードを料理して、ぶち壊してくれたのか?納涼気分で劇場へ出かけたのだが…!?
舞台『真四谷怪談』でお岩を演じる有名女優、後藤美雪(柴咲コウ)と伊右衛門役の長谷川浩介(市川海老蔵)は、実生活でも恋人同士。売れない俳優である浩介に甲斐甲斐しくつくす美雪であるが、浮気癖のある浩介はどこ吹く風。舞台稽古がはじまると、お梅役の新人女優、朝比奈莉緒(中西美帆)に手を出す始末であった。不貞の限りをつくす浩介に対し、平静を装う美雪であったが、次第にその行動は常軌を逸していき、浩介も怪現象に悩まされる羽目に。そして次第に二人は芝居と現実の区別がつかない狂気の世界へのめり込んでいき…。
本編は、現代の俳優たちが織り成す愛憎劇と、彼らが出演する舞台『真四谷怪談』のリハーサルである劇中劇が、交錯して紡がれていく。
伊右衛門を演じる浩介は役と同様、出世の道具に女性を利用して世を渡っていく女たらし。お岩役の美雪とお梅役の莉緒との関係が、そのまま『四谷怪談』へとシンクロし、やがて虚構と現実が混濁。今も昔も人間は、特に男は同じ過ちを繰り返している愚かさを浮かび上がらせるシステムだ。文明は利便化し、歌舞伎や落語、映画の題材に使い古されてきた『四谷怪談』という出し物の見せ方も技術発展してきているにも関わらず、人間の内面は変わっていない皮肉。真に進化すべきところは放置されている現状を、ほとほと考えさせられよう。
伊右衛門=浩介役に市川海老蔵を配した効能も見逃せない。齢を経てイメージがお茶目に丸くなってきた昨今、プライベートを役と重ね合わせるのは意地悪というもの。それよりも、やはり歌舞伎という伝統の担い手である氏が本役を演じることによって、教訓話の普遍性といったテーマがより深く浮きたつ。
特殊メイクを辞さず、お岩=美雪役を体当たりで熱演した柴咲コウの美しき狂気も必見だ。確実に本作の主役は、彼女である。
宅悦役の伊藤英明は気分良さげに怪演を披露しており、願わくば、もっと主演二人と絡んで欲しかった。
三池崇史監督の演出も、あえて説明を廃した不穏な語り口、丹念につくられた画、それでいてグロいケレン味溢れるサービス精神(?)と円熟の味を披露。
もはや『四谷怪談』は古典過ぎて、そのままやっても通じないと変化球に挑んだ判断も正解であったと思う。特に時代劇の『四谷怪談』パートをリハーサル空間という舞台調にし、異界にした試みは絶妙であった。つくり込まれた舞台美術が幽玄な香りを発し、戸板返しのギミック等、押さえるべきところを押さえる趣向もみどころだ。
…と、1カット1カットに滋味があり、美雪のちょっとしたセリフや、大量のパスタと妊娠検査薬等々、深層心理を探り、虚構と現実の境界の謎解きをする興味等、深読みして世界観に浸るべき作品であるのは分かる。が、如何せん、面白いかというと正直、退屈であった。
現代パートからして関係性は察せられるものの、登場人物に入りにくく、海老蔵氏の抑揚がない虚無な芝居もとっつきにくい。
舞台パートになると、より一層入りにくく、出てくる人物が皆異常すぎて、物語の基本であるはずの情念がいまいち伝わってこなかった。客観的に眺めているのみで、怖くもなんともない。
企画自体はよく練られて、気合が入ってはいるものの、空回りしてしまった印象である。実に惜しい。
でもラストだけは、男の身で心底戦慄した。思い起こせば、現代の浩介は伊右衛門ほど一線を越えるひどい行為はしていない。あらゆる意味で、結局は女性がキーを握っている事実を本作は強調。お岩=美雪の怨念は、本家越えである。
つくづく先代の残した教訓は、後世に活かさねば…と痛感した次第である。
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