人生の意味を問いかける熟成ムービー!
観終わった後、沈思黙考してしまう味わい深い大人の映画であった。
本作は、カンヌ国際映画祭で評価をうけた『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』(08)、ショーン・ペン主演の『きっとここが帰る場所』(11)で有名なイタリアの名匠、パオロ・ソレンティーノ監督作。13年度の映画賞を席捲し、イタリア代表として15年ぶりにアカデミー外国語映画賞を射止めた逸品だ。近年はなりをひそめていたが、イタリア映画といえば当部門の常連であり、かつてはヴィットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニといった大巨匠たちにより栄華を極めていた。そうしたイタリア映画の古き良き流れをくむ久々の会心の一撃ということで話題になった本作。となると映画ファンも、すわ難解モノか!?とつい身構えてしまうが、はたしてその内容とは…!?
40年前に発表したデビュー小説が高い評価をうけ、名声をえたジェップ・ガンバルデッラ(トニ・セルヴィッロ)は、その後、インタビュー記事をまとめるジャーナリストとしてお茶をにごしながら悠々自適の生活をおくっていた。文化人として一目おかれるジェップは、夜ごとローマの街にくり出し、セレブが集まるパーティーやイベントに参加し、乱痴気騒ぎの末に朝帰り。齢をとり、さすがに乱れた日々のむなしさを感じていた矢先、初恋の女性エリーザの訃報が届けられる。エリーザの夫は告げる。「彼女は35年間、君を愛しつづけていた」と。後悔と喪失感に苛まれたジェップは生き方を見直すも、相変わらず享楽の世界に没入。やがて旧友の娘でストリップバーの踊り子をしている若いラモーナ(サブリナ・フェリッリ)と知り合い、彼女に安らぎを見出していくのだが…。
冒頭から永遠の都ローマの歴史ある建造物が映され、荘厳な美しさに息をのむ。やがて定番イメージの日本人観光客の団体が現れ、突如その中の一人の中年男が倒れ伏す。悠久の歴史とはかない命のコントラストを目の当たりにした直後、クラブの飲めや歌えやの狂騒がめまぐるしく展開。こちらもローマの街並と刹那の快楽をむさぼる人間たちを対比し、古さと新しさ、宗教的神秘までもが融合した大都市の退廃をじっくり活写する。
すでにこの長いOPシークエンスが、本作の全てを物語っていよう。
主人公のジェップは、若くして処女小説で大きな賞をとるも、その後は筆を折り、インタビュー記者をして糊口をしのぎながら、毎夜パーティー三昧。結婚もせず、時に文化人面して知識人と議論を交わし、有名人と交流し、遊びほうける暮らしを続け、今や65歳になっている。
そんなジェップが初恋の人の死に触れ、ピチピチギャルと付き合い、そして若者の死に直面する等、様々なアクシデントをへて人生を見つめる過程を綴っていく。一見、彼の生活は何不自由なく、面白おかしく暮らす理想の幸福のひとつであろう。でも中身は限りなく空っぽであり、後ろを振り返るとむなしさだけが募ってくる。
すると、快楽に背を向けて、ストイックに何かを成し遂げた人生は充実しているのか?と問われれば、それもまた違う。彼にローマの風物や芸術作品を巡らせることで、「後世に功績を残したから何?」という虚無的な想いを去来させる。
一体、“幸せ”とは、そもそも“生きる”とはどういうことなのか。つくづく思い悩ませる作品である。しかし最後には、人生は死があるから意義があるという概念と、ある種、正反対の達観した境地を示し、ちょっと気を楽にさせてくれるのが本作の良心といえよう。
語り口は、方々で指摘されている通り、フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニの作品群のオマージュが垣間みえる。ただ作家性の強烈な巨匠たちと同じ作品がつくれる道理はなく、本作も疾走するカメラワークといった独特の美意識をはじめ、“魂の彷徨”をえぐったパオロ・ソレンティーノ監督らしいアプローチとなっている。が、感触は限りなくフェリーニ作品に近い。散文的で流れが出来そうになると、わざとそれを断ち切る等、ビジュアル・イメージで真理を追究する作風は、ボーっとしていたら意識がとんでしまうことうけあいだ。観るのに気合と忍耐が必要ではある。
役者陣では、主演のトニ・セルヴィッロのダンディな老人ぶりにほれぼれ。スーツを着こなす姿からカジュアルなコーディネイトまで格好いいのなんの。神々しい遺跡にも、酒池肉林の宴にも、どちらも画になってしまうのだから、何をかいわんや。
前向き指向の映画が多い昨今、こういう老人主演で後向きに人生をとらえるスタイルは新鮮であった。まだ44歳なのに監督のこの熟成ぶりは何なのか?
久々に偉大な歴史を誇る芸術大国イタリアの底力をみた感じである。ヨーロッパにコンプレックスをもつアメリカが降参して、賞を献上したのも頷けよう。
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング
観終わった後、沈思黙考してしまう味わい深い大人の映画であった。
本作は、カンヌ国際映画祭で評価をうけた『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』(08)、ショーン・ペン主演の『きっとここが帰る場所』(11)で有名なイタリアの名匠、パオロ・ソレンティーノ監督作。13年度の映画賞を席捲し、イタリア代表として15年ぶりにアカデミー外国語映画賞を射止めた逸品だ。近年はなりをひそめていたが、イタリア映画といえば当部門の常連であり、かつてはヴィットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニといった大巨匠たちにより栄華を極めていた。そうしたイタリア映画の古き良き流れをくむ久々の会心の一撃ということで話題になった本作。となると映画ファンも、すわ難解モノか!?とつい身構えてしまうが、はたしてその内容とは…!?
40年前に発表したデビュー小説が高い評価をうけ、名声をえたジェップ・ガンバルデッラ(トニ・セルヴィッロ)は、その後、インタビュー記事をまとめるジャーナリストとしてお茶をにごしながら悠々自適の生活をおくっていた。文化人として一目おかれるジェップは、夜ごとローマの街にくり出し、セレブが集まるパーティーやイベントに参加し、乱痴気騒ぎの末に朝帰り。齢をとり、さすがに乱れた日々のむなしさを感じていた矢先、初恋の女性エリーザの訃報が届けられる。エリーザの夫は告げる。「彼女は35年間、君を愛しつづけていた」と。後悔と喪失感に苛まれたジェップは生き方を見直すも、相変わらず享楽の世界に没入。やがて旧友の娘でストリップバーの踊り子をしている若いラモーナ(サブリナ・フェリッリ)と知り合い、彼女に安らぎを見出していくのだが…。
冒頭から永遠の都ローマの歴史ある建造物が映され、荘厳な美しさに息をのむ。やがて定番イメージの日本人観光客の団体が現れ、突如その中の一人の中年男が倒れ伏す。悠久の歴史とはかない命のコントラストを目の当たりにした直後、クラブの飲めや歌えやの狂騒がめまぐるしく展開。こちらもローマの街並と刹那の快楽をむさぼる人間たちを対比し、古さと新しさ、宗教的神秘までもが融合した大都市の退廃をじっくり活写する。
すでにこの長いOPシークエンスが、本作の全てを物語っていよう。
主人公のジェップは、若くして処女小説で大きな賞をとるも、その後は筆を折り、インタビュー記者をして糊口をしのぎながら、毎夜パーティー三昧。結婚もせず、時に文化人面して知識人と議論を交わし、有名人と交流し、遊びほうける暮らしを続け、今や65歳になっている。
そんなジェップが初恋の人の死に触れ、ピチピチギャルと付き合い、そして若者の死に直面する等、様々なアクシデントをへて人生を見つめる過程を綴っていく。一見、彼の生活は何不自由なく、面白おかしく暮らす理想の幸福のひとつであろう。でも中身は限りなく空っぽであり、後ろを振り返るとむなしさだけが募ってくる。
すると、快楽に背を向けて、ストイックに何かを成し遂げた人生は充実しているのか?と問われれば、それもまた違う。彼にローマの風物や芸術作品を巡らせることで、「後世に功績を残したから何?」という虚無的な想いを去来させる。
一体、“幸せ”とは、そもそも“生きる”とはどういうことなのか。つくづく思い悩ませる作品である。しかし最後には、人生は死があるから意義があるという概念と、ある種、正反対の達観した境地を示し、ちょっと気を楽にさせてくれるのが本作の良心といえよう。
語り口は、方々で指摘されている通り、フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニの作品群のオマージュが垣間みえる。ただ作家性の強烈な巨匠たちと同じ作品がつくれる道理はなく、本作も疾走するカメラワークといった独特の美意識をはじめ、“魂の彷徨”をえぐったパオロ・ソレンティーノ監督らしいアプローチとなっている。が、感触は限りなくフェリーニ作品に近い。散文的で流れが出来そうになると、わざとそれを断ち切る等、ビジュアル・イメージで真理を追究する作風は、ボーっとしていたら意識がとんでしまうことうけあいだ。観るのに気合と忍耐が必要ではある。
役者陣では、主演のトニ・セルヴィッロのダンディな老人ぶりにほれぼれ。スーツを着こなす姿からカジュアルなコーディネイトまで格好いいのなんの。神々しい遺跡にも、酒池肉林の宴にも、どちらも画になってしまうのだから、何をかいわんや。
前向き指向の映画が多い昨今、こういう老人主演で後向きに人生をとらえるスタイルは新鮮であった。まだ44歳なのに監督のこの熟成ぶりは何なのか?
久々に偉大な歴史を誇る芸術大国イタリアの底力をみた感じである。ヨーロッパにコンプレックスをもつアメリカが降参して、賞を献上したのも頷けよう。
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング