日韓共同、ぶっ飛びPOVスリラー登場す!
国の違いも低予算も関係なく、アイディア次第で面白いものがつくれることを証明せし怪作であった。
本作は、フェイク・ドキュメンタリー界を席捲し、独自手法の研鑚を続けるお馴染み白石晃士監督作。今やB級ホラーから大作映画にまですっかり定着した感のあるPOV(主観映像)市場。我が国で当分野の成果を最も残している白石監督を、もっと評価するよう常々提言しているのだが、依然としてカルト監督のままであるのは歯痒い限り。
そんな監督が今回、なんと韓国オールロケで現地役者を使った合作スリラーを撮るというのだから、ファンとしては観逃す訳にはいくまい。はたして世界進出をねらった入魂作の実態やいかに…!?
ところは韓国。女性ジャーナリストのキム・ソヨン(キム・コッビ)のもとに、障がい者施設を脱走し、18人を惨殺したとされる容疑者パク・サンジュン(ヨン・ジェウク)から電話がかかってくる。実はソヨンとサンジュンは、幼い頃にあるトラウマを共有した幼馴染みであった。ソヨンはサンジュンの指示に従い、日本人カメラマンの田代(白石晃士)を連れて、廃屋マンションの一室を来訪。待ち受けていたサンジュンは、自分は神の予言に則って殺人を犯していると語り、これから起こる奇跡を記録におさめるよう命令する。間もなくサンジュンの言う通りに、最後の標的である日本人カップルの凌太(米村亮太朗)とツカサ(葵つかさ)がその場にのこのこやって来て…。
神の啓示をうけたと、のたまう男の奇怪な行動を追っていくうちに、はじめはバカにしていたのが、狂っているのはむしろ自分であり、この世界かも?という感情が芽生えていく価値観の転換は『オカルト』(09)に通じよう。肉体を凌辱することで、人間のエゴ=他者への愛をためす試練は『グロテスク』(09)、殺人者を密室で取材するというスタイルは『超・悪人』(11)を思わせる。(大元は、『ありふれた事件』(92)ではあるが…)
他、セクシー女優の的確(?)な使い方、バイオレンスとエロスが渦巻く中に忍び寄る絶妙なユーモア、そしてハッピーエンドなのかどうなのか判断がつかない、切なく不気味な余韻を残すラスト(ここは近々のある作品と同じ展開)と、エグさは控え目ながら確かに白石監督のフィルモグラフィの集大成といえる内容となっている。
それをかつてない86分のPOV、要するに“カメラマンの撮った素材”という名目のワンカット長回しで表現しているのだから、ワンランク上のステージへ進んだといってよかろう。(実際は幾度もカットを割っているのだが、パッと見では誰も気付くまい。これらも長年培った技術の結集といえよう)
本作を観てつくづく感じたのが、報道番組が事件を伝える現地映像の、リアルタイムでは何も起きていないにもかかわらず、そこはかとなく漂う怖さの吸引力である。件の報道映像に薄気味悪さを感じとるのは、実際にその場で事件が起こったという現実に則っているがゆえ。同様に白石作品も、えもいわれぬリアリティを映像が醸し出している。当効果の由縁は、白石作品に底流する“常識の通用しない異世界”がどこかに存在すると言いきる造り手の確信性にあろう。その辺りをぼやかして、いい加減にしている作品は、やはり興味をひかれない。逆に覚悟のある作品は、どんなバカらしい超常をやらかしても、興味がひかれるのだ。怖いもの見たさに加えて、神秘を覗く好奇心を刺激されるとでもいおうか。
なぜ生きているのか?全てのはじまりは一体何なのか。大いなる謎からは、誰も逃げられないのだから。
ことほどさように余すところなく白石ワールドの魅力を伝える本作だが、惜しむらくは言語の壁である。はじめ、日本語を話すのはカメラマンの田代(お馴染みのキャラですな)だけで、やりとりは基本、韓国語。日本での活躍が目立つ、『息もできない』(09)のへちゃむくれ女子高生のキム・コッビが好演を見せてはいるものの、彼女と殺人犯のスリリングな会話劇が字幕ではいつもの臨場感が出ず、ちょっと退屈してしまった。モキュメンタリーでは掛け合いの間合いが大事なのだと痛感。
よって俄然、勢いを取り戻すのは、日本人カップルが参入してから。このぶっ飛んだカップルにより、白石節が爆裂!いい意味で彼らが映画を掻き回してくれる。清純キャラで売る葵つかさのチャキチャキの関西弁にも注目だ。この両者のとんでもないクレージーぶりは、ぜひご自身の眼でご確認を。
ここから急激にストーリーは加速。5人の血で血を洗う狂騒がはじまり、「なんじゃそりゃ!」な文字通り、目が点になるラストまで一直線である。
しかしながら、白石監督はもう海外の方が先に眼をつけ、一足飛びにハリウッドのホラーで活躍してしまうような気がする
それでいいのか、日本映画界?
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング
国の違いも低予算も関係なく、アイディア次第で面白いものがつくれることを証明せし怪作であった。
本作は、フェイク・ドキュメンタリー界を席捲し、独自手法の研鑚を続けるお馴染み白石晃士監督作。今やB級ホラーから大作映画にまですっかり定着した感のあるPOV(主観映像)市場。我が国で当分野の成果を最も残している白石監督を、もっと評価するよう常々提言しているのだが、依然としてカルト監督のままであるのは歯痒い限り。
そんな監督が今回、なんと韓国オールロケで現地役者を使った合作スリラーを撮るというのだから、ファンとしては観逃す訳にはいくまい。はたして世界進出をねらった入魂作の実態やいかに…!?
ところは韓国。女性ジャーナリストのキム・ソヨン(キム・コッビ)のもとに、障がい者施設を脱走し、18人を惨殺したとされる容疑者パク・サンジュン(ヨン・ジェウク)から電話がかかってくる。実はソヨンとサンジュンは、幼い頃にあるトラウマを共有した幼馴染みであった。ソヨンはサンジュンの指示に従い、日本人カメラマンの田代(白石晃士)を連れて、廃屋マンションの一室を来訪。待ち受けていたサンジュンは、自分は神の予言に則って殺人を犯していると語り、これから起こる奇跡を記録におさめるよう命令する。間もなくサンジュンの言う通りに、最後の標的である日本人カップルの凌太(米村亮太朗)とツカサ(葵つかさ)がその場にのこのこやって来て…。
神の啓示をうけたと、のたまう男の奇怪な行動を追っていくうちに、はじめはバカにしていたのが、狂っているのはむしろ自分であり、この世界かも?という感情が芽生えていく価値観の転換は『オカルト』(09)に通じよう。肉体を凌辱することで、人間のエゴ=他者への愛をためす試練は『グロテスク』(09)、殺人者を密室で取材するというスタイルは『超・悪人』(11)を思わせる。(大元は、『ありふれた事件』(92)ではあるが…)
他、セクシー女優の的確(?)な使い方、バイオレンスとエロスが渦巻く中に忍び寄る絶妙なユーモア、そしてハッピーエンドなのかどうなのか判断がつかない、切なく不気味な余韻を残すラスト(ここは近々のある作品と同じ展開)と、エグさは控え目ながら確かに白石監督のフィルモグラフィの集大成といえる内容となっている。
それをかつてない86分のPOV、要するに“カメラマンの撮った素材”という名目のワンカット長回しで表現しているのだから、ワンランク上のステージへ進んだといってよかろう。(実際は幾度もカットを割っているのだが、パッと見では誰も気付くまい。これらも長年培った技術の結集といえよう)
本作を観てつくづく感じたのが、報道番組が事件を伝える現地映像の、リアルタイムでは何も起きていないにもかかわらず、そこはかとなく漂う怖さの吸引力である。件の報道映像に薄気味悪さを感じとるのは、実際にその場で事件が起こったという現実に則っているがゆえ。同様に白石作品も、えもいわれぬリアリティを映像が醸し出している。当効果の由縁は、白石作品に底流する“常識の通用しない異世界”がどこかに存在すると言いきる造り手の確信性にあろう。その辺りをぼやかして、いい加減にしている作品は、やはり興味をひかれない。逆に覚悟のある作品は、どんなバカらしい超常をやらかしても、興味がひかれるのだ。怖いもの見たさに加えて、神秘を覗く好奇心を刺激されるとでもいおうか。
なぜ生きているのか?全てのはじまりは一体何なのか。大いなる謎からは、誰も逃げられないのだから。
ことほどさように余すところなく白石ワールドの魅力を伝える本作だが、惜しむらくは言語の壁である。はじめ、日本語を話すのはカメラマンの田代(お馴染みのキャラですな)だけで、やりとりは基本、韓国語。日本での活躍が目立つ、『息もできない』(09)のへちゃむくれ女子高生のキム・コッビが好演を見せてはいるものの、彼女と殺人犯のスリリングな会話劇が字幕ではいつもの臨場感が出ず、ちょっと退屈してしまった。モキュメンタリーでは掛け合いの間合いが大事なのだと痛感。
よって俄然、勢いを取り戻すのは、日本人カップルが参入してから。このぶっ飛んだカップルにより、白石節が爆裂!いい意味で彼らが映画を掻き回してくれる。清純キャラで売る葵つかさのチャキチャキの関西弁にも注目だ。この両者のとんでもないクレージーぶりは、ぜひご自身の眼でご確認を。
ここから急激にストーリーは加速。5人の血で血を洗う狂騒がはじまり、「なんじゃそりゃ!」な文字通り、目が点になるラストまで一直線である。
しかしながら、白石監督はもう海外の方が先に眼をつけ、一足飛びにハリウッドのホラーで活躍してしまうような気がする
それでいいのか、日本映画界?
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング