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Channel: 相木悟の映画評
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『るろうに剣心 伝説の最期編』 (2014)

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テンションMAXで駆け抜ける、一大クライマックスに感嘆せよ!



とにもかくにも造り手とキャストのほとばしる熱量に圧倒される力作であった。
本作は、『週刊少年ジャンプ』の代表作のひとつである和月伸宏の同名漫画の実写化第3弾。原作の人気シリーズ“京都編”を2部作に分割した『京都大火編』に続く後編だ。1作目の大ヒットにより、これ以上ないお膳立てで実現した本2部作。前編のわずか一ヶ月後に、後編を観れる贅沢さは確かに堪えられないものがある。『京都大火編』も記録的なヒットをかっ飛ばし、盛り上がりはまさに最高潮。コミックの映画化で、興行と評価ともにこれほど絶賛の嵐に包まれた例はないのでは?
ファンや批評家筋から邦画界の未来を託す希望のシリーズとして祀り上げられている中、もう四の五のいわず、ひたすら楽しめばそれでいいとは思うのだが…。

志々雄真実(藤原竜也)一派に捕らわれた薫(武井咲)を救うため、東京へと侵攻せし甲鉄艦“煉獄”に乗り込んだ剣心(佐藤健)であったが、激闘の果て、薫と共に海中に没してしまう。意識を失い、浜辺に流れついた剣心は、師匠である比古清十郎(福山雅治)に偶然、助けられる。今のままの自分では志々雄たちに太刀打ちできないとさとった剣心は、清十郎に飛天御剣流の奥義の伝授を請うのだが、清十郎はまずは心の持ちようを改めるよう説き伏せ…。
一方、九死に一生をえた薫は、左之助(青木崇高)と弥彦(大八木凱斗)と共に東京へ向かい、剣心を執拗に付け狙う四乃森蒼紫(伊勢谷友介)は道中で待ち伏せ、そして浦賀沖に現れた志々雄一派は、煉獄の砲撃で明治政府を恫喝しはじめて…。

前作のラストで突如現れ、本作に対する最高の引きを演出した福山君。気になる役柄は、ファンの間で予想されていた通り、剣心の師匠、比古清十郎であった。イメージの違いと芝居はさておき、如何せんスターオーラが半端なく、剣心役の佐藤健との師弟関係が実に自然である。この新旧スターが火花を散らし、『スターウォーズ』シリーズのルークとヨーダの関係よろしく、主人公が活路を見出す当パートで掴みはOK。
2部作の後編だけにのっけからテンションが高く、ずっと緊張感をたもったまま、当シークエンスから後は、アクションにつぐアクションのつるべうち!怒涛の勢いで、迷いなく突き進む。谷垣演出のアクロバティックでスピーディーな殺陣はさらに加速し、剣心VS二刀流の蒼紫、剣心VS宗次郎の超音速バトル(神木君、やっぱり最高!)、左之助VS安慈(丸山智巳)の肉弾戦(なぜかココにきてのコミカル化に大いに異議があるが…)、人体発火するラスボス志々雄との爆炎バトル、等々、趣向を凝らしたアクションの数々は圧巻の一言だ。
何より1カットもおろそかにすべしと、造り手とキャストの凄まじい気迫がビシビシと伝わってくるのがスゴイ。『ダークナイト』シリーズのような重厚なパワーの込めようである。ただ、この圧迫が疲れるかといえばそんなことはなく、むしろ心地良さすらある。日本映画でこれだけ体育会系のパッションが前面に押し出た作品は、近年珍しかろう。

そしてかようなスタンスが、想いを戦いでしか表現できない旧時代の無骨キャラと絶妙にマッチ。権力に使い捨てにされ、新時代に至っても、いいように利用される彼らの哀しさ、もがき苦しみ死闘の果てに未来への光明をさぐるキャラたちの姿を、あくまでバトルを通してぶちまける構造が、ストレートにスクリーンから役者陣の本物の汗と共に伝わってくる。
やはりこの本物感は、邦画の新境地をみる想いであり、絶賛したくなるのも、むべなるかな。もうこれにて「オールOK」と筆をおさめたいのは山々だが、不肖、思うところがあり、少々記しておきます。

前作に関しては、一息つく緩急がなくて終始陰気くさいと批判した。その点、大友啓史監督としては、TVドラマのような長い話数があれば、原作のポップな要素を取り入れることも可能だが、映画ではなるべくシンプルにすべきだという判断で、シリアス一辺倒に押し切ったという。要は剣心が過去と決着をつけ、新たな生きる希望をつかむプロセスにしぼって、枝葉はカット。自然、剣心に関わらない多くのキャラは、削られる羽目となる。中でも特に割をくったのは十本刀であろう。(本作に至っては、宗次郎や操(土屋太凰)まで犠牲になっている)
個人的には120分の上映時間でも喜怒哀楽を彩り、他のキャラに目配せをするのも不可能ではないと思うが、この割り切って一本道にした大友監督のポリシーが、多くの観客の心を掴んでいる事実を否定はできまい。

でも、シンプルに心情に寄り過ぎて、物語的な妙とダイナミックさが少しおざなりになってしまったのは悔やまれる。煉獄を黒船に見立て、象徴的にピックアップし、決戦場にしたアイディアは素晴らしい。が、この煉獄だけで政府を脅すというのは、ちと無理があるのではなかろうか?おかげであれだけの小勢力に政府が右往左往するのも説得力がないし、いまいち危機感が感じられない。志々雄一派が日本を恐怖のどん底におとす、ワクワクする映画的高揚が欲しかった。
志々雄とのラストバトルを倉庫のようなセットで済ました味気なさ、ちょっとグダグダになるご都合主義な展開にも、やや萎えた。(何としてでも『プロジェクトA』(83)がやりたかったのか?志々雄の「誰だ、お前?」の連発には笑ったが…)

あと、どうしても個人的に気になるのは、それなりに思い入れのある原作からの、特に本作で顕著な改変ポイントである。
原作は、今さら説明するまでもなく、本格的な時代劇アクションという『週刊少年ジャンプ』にしては異質の内容だ。連載当初は僕もそのあまりの渋さに、すぐに打ち切りになるだろうと侮っていた。現に初期こそ危うかったが、徐々に人気を集め、それが最高沸点に達したのが“京都編”である。原作者が語るように、あえて『ジャンプ』の王道バトル、かつての敵や仲間が集結し、それぞれが一人ずつ各ステージで敵メンバーを撃破していく展開に挑んだ試みは大成功。僕も異端扱いされていた漫画がテコ入れなどではなく、エンタメ路線に真正面からのっかる珍事に熱狂した記憶がある。その衝撃こそが、“京都編”の肝だと思うのだ。
よって、実写版では、その王道エンタメぶりをきっちり表現してほしかった、というのが僕の本音である。

とはいえ、『ジャンプ』誌上、無二の異色作たる原作(以降、時代劇漫画の成功例は皆無)を、かつてない和製アクション映画に昇華させた点においては、原作の偉大さに準じていよう。やはりその功績は尋常ではない。

これだけ大ヒットしたのだから、きっと続編の企画は出てくるだろう。“追憶編”は同じような話になると思うので、構想にあったという西部劇風の“北海道編”なんて如何だろうか?


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