かの韓流バイオレンス・ミステリー、ハリウッド版を楽しむべし!
相も変わらず名作のリメイク企画が後を絶たず、皆それぞれ健闘をみせてはいるものの、どうしてもオリジナルのインパクトに敵わないのが現状である。本作もその例にもれないのだが、なかなかどうして上質な一本であった。
作:土屋ガロン(別名、狩撫麻礼)、画:嶺岸信明による同名漫画を映画化し、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞したパク・チャヌク監督の韓国映画『オールド・ボーイ』(03)。僕も当作を目の当たりにした際、バイオレンス・ジャンルにおける韓流のレベルの高さに心底驚愕した一本である。本作は原作漫画の再映画化というより、当作のハリウッド・リメイクとみなした方がよかろう。
監督は、紆余曲折を経てスパイク・リーが就任し、ジョシュ・ブローリン主演という豪華布陣が実現。スパイク・リーといえば、今日に至るまで社会派から娯楽作と意欲的に作品を量産しつつ、タランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)に咬みつく等、ファンに「またか!」とあきれられる問題児。はたして、かような氏がアジアの名作をどう料理したのか…!?
1993年。広告代理店の重役ジョー(ジョシュ・ブローリン)は、有能だが女性にだらしなく、家庭を顧みず、酒浸りのすさんだ生活をおくっていた。そんなある夜、仕事で失態を犯した上に泥酔し、中華街をさまよっていたところ急に意識を失ってしまう。目覚めるとそこは見知らぬ一室。完全な密室に監禁されたことに気付くジョーであったが、身に覚えはない。食事はいつも餃子でTVしか気を紛らわせない単調な生活に気が狂いそうになるジョー。しかもTVでは妻が殺され、ジョー自身が犯人として指名手配されていた。ジョーは汚名を晴らし、娘と再会すべく、この生活に堪え脱出することを決意するのであった。
20年後。周到に準備していた脱出計画の目途がようやくついたその日、なぜか唐突にジョーは解放される。訳がわからないままジョーは、たまたま出会ったソーシャルワーカーのマリー(エリザベス・オルセン)の協力を仰ぎ、自分を陥れた人物を突き止め、復讐せんと動き出すのだが…。
なぜ20年間も監禁され、突然解放されたのか??
至極キャッチーな基本の流れは韓国版を踏襲しつつ、雑であった部分の辻褄を合わせて整理していった塩梅である。が、スッキリした分、おどろおどろしい毒気は霧散。主人公が監禁場所に乗り込み、カナヅチ一本で複数の敵をなぎ倒す有名な横スクロール1カット等、アクションやゴア描写自体はむしろパワーアップされているのだが、全体的に随分ライトな印象を受ける。
特に主人公が監禁された真相は、衝撃度はそのままながら主謀者サイドの事情を大きく改変。情感に訴えかける部分はオミットされた。これらはハリウッド・テイストにまとめたとみてよかろう。いうまでもなく韓国映画版は当国の文化的背景、禁忌と怨念の概念に彩られており、ハリウッドでリメイクする分、改変は理にかなっている。プロットの理路整然さもまた然り。要は、好みの問題であろう。というか、この比較の興趣がなければ、造り直す意味はあるまい。
ジョー役の巧者ジョシュ・ブローリンの見事な下衆男ぶり、だらしない体型から一念発起してムキムキに変化する役者根性と、さすがの横綱相撲。
昨今ブレイク中のエリザベス・オルセンの可愛さと体当たりぶりも眼福だ。
サミュエル・L・ジャクソンの怪演、シェールト・コプリーの不気味さ、と悪役陣も存在感たっぷり!
スパイク・リーの演出は、140分あったのを短くしたからか、前半の監禁シーンの精緻さから一転、後半の猛烈な駆け足ぶりが残念ではあるものの、的確ないい仕事をした。
そして本作を観て改めて思い知らされたのが、自分が韓国版の荒唐無稽な奔放さが案外好きだった事実である。確かに主人公のぶっ飛んだ行動等々、突っ込みどころは多いが、ある種、異様なエネルギーが漲っていたのは事実。やはりあの怒涛の勢いは、これから世界に打って出んと韓国映画界がノリにノッていた空気が影響していたのであろう。時代性という意味で、どうしても見劣りがしてしまうのはリメイクの悲劇である。
加えて僕は、韓国版のハッピーなのかアンハッピーなのか釈然としない締め方が気に入っていたりする。逆に人間臭いとでもいおうか。すんなり納得はできないのだが、そこが混沌とした作品の世界観に妙に合っていた。
他方、本作の新アイディアのラストも嫌いではない。本作をハリウッド・リメイクする意義として、主人公にアメリカという国の近代史を重ね合わせていることは自明の理である。犯した罪に無自覚で、不意打ちのようにテロに遭って自覚する。あのラストは「ちょっとは反省しろ!」というメッセージにとれよう。
でも普通に考えれば、その罪(または新たに犯した罪)を償うにしても、心を入れ替えて社会的な貢献をした方がいいに決まっている。闇ビジネスに頼るなんぞもってのほか。あの妙なしおらしさと浮かべる不敵な笑みは、ご意見番スパイク・リーからの「一時的に反省する姿をみせても、どうせまたやらかすんだろう?」という皮肉なのかもしれない。
それにしても本作は、いくら韓国映画版が尊重されているとはいえ、まがりなりにも日本漫画が原作である。なのに、このひっそりぶりはどういうことか。もうちょっと注目されてもいいのでは?
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相も変わらず名作のリメイク企画が後を絶たず、皆それぞれ健闘をみせてはいるものの、どうしてもオリジナルのインパクトに敵わないのが現状である。本作もその例にもれないのだが、なかなかどうして上質な一本であった。
作:土屋ガロン(別名、狩撫麻礼)、画:嶺岸信明による同名漫画を映画化し、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞したパク・チャヌク監督の韓国映画『オールド・ボーイ』(03)。僕も当作を目の当たりにした際、バイオレンス・ジャンルにおける韓流のレベルの高さに心底驚愕した一本である。本作は原作漫画の再映画化というより、当作のハリウッド・リメイクとみなした方がよかろう。
監督は、紆余曲折を経てスパイク・リーが就任し、ジョシュ・ブローリン主演という豪華布陣が実現。スパイク・リーといえば、今日に至るまで社会派から娯楽作と意欲的に作品を量産しつつ、タランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)に咬みつく等、ファンに「またか!」とあきれられる問題児。はたして、かような氏がアジアの名作をどう料理したのか…!?
1993年。広告代理店の重役ジョー(ジョシュ・ブローリン)は、有能だが女性にだらしなく、家庭を顧みず、酒浸りのすさんだ生活をおくっていた。そんなある夜、仕事で失態を犯した上に泥酔し、中華街をさまよっていたところ急に意識を失ってしまう。目覚めるとそこは見知らぬ一室。完全な密室に監禁されたことに気付くジョーであったが、身に覚えはない。食事はいつも餃子でTVしか気を紛らわせない単調な生活に気が狂いそうになるジョー。しかもTVでは妻が殺され、ジョー自身が犯人として指名手配されていた。ジョーは汚名を晴らし、娘と再会すべく、この生活に堪え脱出することを決意するのであった。
20年後。周到に準備していた脱出計画の目途がようやくついたその日、なぜか唐突にジョーは解放される。訳がわからないままジョーは、たまたま出会ったソーシャルワーカーのマリー(エリザベス・オルセン)の協力を仰ぎ、自分を陥れた人物を突き止め、復讐せんと動き出すのだが…。
なぜ20年間も監禁され、突然解放されたのか??
至極キャッチーな基本の流れは韓国版を踏襲しつつ、雑であった部分の辻褄を合わせて整理していった塩梅である。が、スッキリした分、おどろおどろしい毒気は霧散。主人公が監禁場所に乗り込み、カナヅチ一本で複数の敵をなぎ倒す有名な横スクロール1カット等、アクションやゴア描写自体はむしろパワーアップされているのだが、全体的に随分ライトな印象を受ける。
特に主人公が監禁された真相は、衝撃度はそのままながら主謀者サイドの事情を大きく改変。情感に訴えかける部分はオミットされた。これらはハリウッド・テイストにまとめたとみてよかろう。いうまでもなく韓国映画版は当国の文化的背景、禁忌と怨念の概念に彩られており、ハリウッドでリメイクする分、改変は理にかなっている。プロットの理路整然さもまた然り。要は、好みの問題であろう。というか、この比較の興趣がなければ、造り直す意味はあるまい。
ジョー役の巧者ジョシュ・ブローリンの見事な下衆男ぶり、だらしない体型から一念発起してムキムキに変化する役者根性と、さすがの横綱相撲。
昨今ブレイク中のエリザベス・オルセンの可愛さと体当たりぶりも眼福だ。
サミュエル・L・ジャクソンの怪演、シェールト・コプリーの不気味さ、と悪役陣も存在感たっぷり!
スパイク・リーの演出は、140分あったのを短くしたからか、前半の監禁シーンの精緻さから一転、後半の猛烈な駆け足ぶりが残念ではあるものの、的確ないい仕事をした。
そして本作を観て改めて思い知らされたのが、自分が韓国版の荒唐無稽な奔放さが案外好きだった事実である。確かに主人公のぶっ飛んだ行動等々、突っ込みどころは多いが、ある種、異様なエネルギーが漲っていたのは事実。やはりあの怒涛の勢いは、これから世界に打って出んと韓国映画界がノリにノッていた空気が影響していたのであろう。時代性という意味で、どうしても見劣りがしてしまうのはリメイクの悲劇である。
加えて僕は、韓国版のハッピーなのかアンハッピーなのか釈然としない締め方が気に入っていたりする。逆に人間臭いとでもいおうか。すんなり納得はできないのだが、そこが混沌とした作品の世界観に妙に合っていた。
他方、本作の新アイディアのラストも嫌いではない。本作をハリウッド・リメイクする意義として、主人公にアメリカという国の近代史を重ね合わせていることは自明の理である。犯した罪に無自覚で、不意打ちのようにテロに遭って自覚する。あのラストは「ちょっとは反省しろ!」というメッセージにとれよう。
でも普通に考えれば、その罪(または新たに犯した罪)を償うにしても、心を入れ替えて社会的な貢献をした方がいいに決まっている。闇ビジネスに頼るなんぞもってのほか。あの妙なしおらしさと浮かべる不敵な笑みは、ご意見番スパイク・リーからの「一時的に反省する姿をみせても、どうせまたやらかすんだろう?」という皮肉なのかもしれない。
それにしても本作は、いくら韓国映画版が尊重されているとはいえ、まがりなりにも日本漫画が原作である。なのに、このひっそりぶりはどういうことか。もうちょっと注目されてもいいのでは?
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