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Channel: 相木悟の映画評
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『荒野の千鳥足』 (1971)

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人生訓を指し示すマッド・ムービー!



観終わった後は頭クラクラ、それこそ千鳥足になる怪作ながら、どこか襟を正してしまう珍品であった。
本作は、71年に製作された『ランボー』(82)のテッド・コッチェフ監督による米豪合作映画。カンヌ映画祭に出品され、驚愕の内容で旋風を巻き起こすも、なぜか日本では未公開。さらにオリジナルネガが紛失されるというアクシデントにより、長らく幻の作品となっていた。
事態が動いたのが04年。米国で奇跡的に廃棄寸前の素材が発見され、レストアを施し、見事に復活。07年に再上映される運びとなり、この度ようやく日本上陸を果たした訳である。マーティン・スコセッシをして「凄まじいほど不快な映画」といわしめた本作。鑑賞する機会を逃す訳にはいくまい。

オーストラリアの僻地の小学校で教師をしているジョン(ゲイリー・ボンド)は、クリスマス休暇で恋人のまつシドニーへ帰ることに。途中、ヤパという田舎町で一泊するも、気のいい住人の過剰なサービスをうける羽目となる。さんざんビールを振る舞われ、理性を失ったジョンは気がつくと住民が熱狂する原始的なギャンブルにはまり込んでしまい…。

『荒野の千鳥足』というタイトルと荒廃したビジュアル・イメージにより、つい西部劇を連想してしまうが、さにあらず。主人公がふらりと立ち寄った街で無間地獄を体験する、ホラー映画等でお馴染みの不条理劇である。

教師という堅い仕事につく主人公ジョンは、単身赴任先から故郷に帰る途上、オーストラリアの茫漠とした荒野にポツンとたたずむさびれた街で一夜の宿をとる。退屈を紛らわすべく何気なく酒場に入るジョン。この街の住民は水の代わりにビールを飲むほどの酒飲み集団で、酒場は異様な喧騒に包まれており、ジョンは飲めや飲めやのビールの洗礼をうける。そこかしこにハエが飛び交い、轟くゲップの合唱、体臭すら匂ってきそうな画面の不潔な迫力たるや!その生々しい臨場感に圧倒されることうけあいである。
やがて、今の生活に不満のあるジョンはふと出来心で、ギャンブルに手を出してしまう。結果、文字通り、酒とギャンブルという俗悪の渦に巻き込まれ、色情女からホモセクシャルまで、堕落の饗宴にズブズブとはまっていく。
ジョンを世話する闇医者を演じたドナルド・プレザンスのクレイジーな存在感も圧巻だ。

そして挙句の果てに訪れるのが、悪名高い“カンガルー狩り”。及び腰であったジョンも周囲に翻弄され、ついには没頭。もはや単なる娯楽としての殺戮ゲームであり、これほど気分が悪くなる残虐シーンもない。飲酒場面の惨状もそうだが、全編とことん不快にさせられる。(※現在、カンガルーは保護動物であり、狩猟行為が犯罪である旨の説明が最後に出ます)

でも従来の映画のように主人公を「ダメだなぁ…」と他人事に見放すことができないのが、本作の醍醐味といえよう。僕自身、ギャンブルは一切しないし、お酒も飲めないのでその点は理解不能だが、おいしい話に揺れ、ゆるい流れに身を委ねてしまう“弱さ”は共感できる。
特筆すべきは、劇中に出てくる人々はお下劣ではあれ、別に悪人ではないという点である。どちらかというと、世話焼きのいい奴らなのだ。
要は、敵は自分自身。最後に無理矢理、やつあたりで“敵”を作り出したジョンの顛末をみれば、当メッセージ性は一目瞭然であろう。この手の作品としては、異色のスタンスである。

また、酒、ギャンブルの超絶な魔力に比べ、本編では色欲パートがやや薄い。これはジョンの拠り所が、シドニーにいる恋人に向いているがゆえ。ゴールにも女性の欲望が沈殿する構図は、まさに八方塞がりであり、人生の縮図にようにみえてくる。
結局は人生においては色々な誘惑があり、ほとんどの人はそれに陥落して、踏み出すことがかなわない。ジョンはラストにどういう結末を迎えたのか?そのループ感覚のむなしさは、人生のむなしさでもあろう。

主人公と一緒に悪夢をみたようなトリップ感覚に陥り、味わい深い余韻を残し、教訓を授けてくれる本作。トンデモ映画とうより、アメリカン・ニューシネマのアート系の一環と捉えるのが正しかろう。

劇場で観れてよござんした。


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