高潔なる本格時代劇のお目見えとなる筈が…?!
若者を集客する娯楽作から年配層好みの激渋作まで賑わいをみせている時代劇。そんな中、正統派はコレだ!と突きつける真打登場となる筈だったのだが…。
本作は、黒澤明監督の遺伝子を受け継ぐ愛弟子、小泉堯史監督作品。こういった紹介の仕方は監督に失礼かとは思うが、黒澤組ゆかりのスタッフが集まり、黄金時代の香り漂う作品に期待をこめてしまうのは致し方あるまい。ただ、黒澤監督の遺稿を映画化したデビュー作『雨あがる』(00)から、清廉な生き方を貫く人格者の丹念なドラマという小泉監督の個性は一貫されている。そういう意味では、直木賞受賞の原作小説はドンピシャの題材といえよう。小泉監督自身が映画化を熱望したのも、さもありなん。
…と、なんとなくハズレようのない企画に一見、思えたのだが…。
豊後、羽根藩。城内で親友の信吾(青木崇高)とのちょっとした諍いで刃傷沙汰を起こしてしまった庄三郎(岡田准一)は、罪を不問に付す代わりに、幽閉中の元郡奉行、戸田秋谷(役所広司)の監視役を与えられる。7年前、秋谷は藩主の側室と不義密通した上、目撃した小姓を斬り捨てるという事件を起こし、10年後の切腹と藩史の編纂を命じられていた。秋谷と妻の織江(原田美枝子)、娘の薫(堀北真希)、息子の郁太郎(吉田晴登)と共に暮らしはじめる庄三郎であったが、3年後に迫った切腹に向けて家譜作りに励み、一日一日を大切に生き、“蜩ノ記”と名付けられた日記を綴る秋谷の生き様に感銘をうけていく。そして秋谷の人柄を知れば知るほど7年前の事件に疑念を抱いた庄三郎は、独自の調査をはじめ…。
OPの豪雨から小泉監督の本領発揮。時間帯によって刻々と変化する情感、期限ある秋谷の命を、うつろいゆく四季折々の光景を通して表現する等、自然描写の確かさは折り紙つきだ。造り込まれた美術と伴い、ハッとするような美しいシーンが続く。まさにベテランの職人芸を堪能できよう。
実力派俳優陣の決して前に出ない芝居や所作もまた格調高い。
特に、監督はこのシーンを撮りたかったんだなとつくづく思わせるラスト・シーン。役所広司の背中で語る妙演もあいまって、爽快かつ重厚な名シーンとなっている。堂々の小泉劇場といってよい。
がしかし、総じた評価は…、ごめんなさい、残念作という他ない。
圧倒的に足りないのは、ケレン味である。
まず本作は、一体誰の視点の映画なのか?普通に考えると庄三郎なのだが、彼の眼を通した話になってはいない。彼と薫の淡い恋愛、郁太郎との兄弟の絆も薄味だ。信吾との関係性など、説明不足で意味不明の域である。そもそも、はじめから高潔に過ぎよう。原作通り、秋谷に触れて青二才が成長していくプロセスをきっちり描いてほしかった。ラストのリアクションすら映されない彼の存在感は極めて弱い。どうも監督の興味が、全体的に秋谷に寄り過ぎている。
そして、映画化に際して一番懸念していたのが、秋谷の密通事件の真相となる“お家騒動”の顛末だ。小説ではそれなりにミステリーとして読ませるが、映像にするとしゃべりだけで、つまらなくなるのは明白である。どうするのか?と興味をもって見守っていたら、なんとそのままやっていた。尺をさいている割に退屈である。
ここはおもいきった脚色を施し、シンプルにすべきではなかったか?
加えて、もうひとつの流れとして本作には、農民と商人、武士との階級の確執があり、その駆け引きの緊張感が重要なテーマとなっている。なぜ秋谷のような人物が脱落して、狡猾な輩が上に君臨する羽目になるのか?このどうしようもない構造が、現実の政治と鏡写しとなっているのはいうまでもない。でも映画では、このパートの問題提起は、ほとんど伝わらない。もっと整理して、ドラマチックに処理すべきである。
村に起こる不気味な殺人事件もそれにからむ藩の権力抗争も、淡白に抑え過ぎだ。ゆえにクライマックスの悲劇も、驚くほど盛り上がらない。ここらの庄三郎と郁太郎のシーンは、原作では唇を噛みしめながら読んだパートだけに、あっさりし過ぎて拍子抜けであった。悪人役の家老、中根(串田和美)の扱いも酷過ぎる。
多くを語らず、黙して観客に察するよう即し、日本人のつつましい美徳を表現せんとした演出の狙いはわかる。実に崇高な意図だと思う。そこでオリジナリティを出そうとしたのかもしれない。だが、それは秋谷のキャラだけでよかった。だからこそメリハリが生まれ、彼の気高さが際立つというもの。当演出を全てのキャラに当てはめ、ストーリーをも味気なくしてしまったのが、本作の敗因ではなかろうか?
一流のスタッフとキャスト、原作が揃った期待作だっただけに残念!
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若者を集客する娯楽作から年配層好みの激渋作まで賑わいをみせている時代劇。そんな中、正統派はコレだ!と突きつける真打登場となる筈だったのだが…。
本作は、黒澤明監督の遺伝子を受け継ぐ愛弟子、小泉堯史監督作品。こういった紹介の仕方は監督に失礼かとは思うが、黒澤組ゆかりのスタッフが集まり、黄金時代の香り漂う作品に期待をこめてしまうのは致し方あるまい。ただ、黒澤監督の遺稿を映画化したデビュー作『雨あがる』(00)から、清廉な生き方を貫く人格者の丹念なドラマという小泉監督の個性は一貫されている。そういう意味では、直木賞受賞の原作小説はドンピシャの題材といえよう。小泉監督自身が映画化を熱望したのも、さもありなん。
…と、なんとなくハズレようのない企画に一見、思えたのだが…。
豊後、羽根藩。城内で親友の信吾(青木崇高)とのちょっとした諍いで刃傷沙汰を起こしてしまった庄三郎(岡田准一)は、罪を不問に付す代わりに、幽閉中の元郡奉行、戸田秋谷(役所広司)の監視役を与えられる。7年前、秋谷は藩主の側室と不義密通した上、目撃した小姓を斬り捨てるという事件を起こし、10年後の切腹と藩史の編纂を命じられていた。秋谷と妻の織江(原田美枝子)、娘の薫(堀北真希)、息子の郁太郎(吉田晴登)と共に暮らしはじめる庄三郎であったが、3年後に迫った切腹に向けて家譜作りに励み、一日一日を大切に生き、“蜩ノ記”と名付けられた日記を綴る秋谷の生き様に感銘をうけていく。そして秋谷の人柄を知れば知るほど7年前の事件に疑念を抱いた庄三郎は、独自の調査をはじめ…。
OPの豪雨から小泉監督の本領発揮。時間帯によって刻々と変化する情感、期限ある秋谷の命を、うつろいゆく四季折々の光景を通して表現する等、自然描写の確かさは折り紙つきだ。造り込まれた美術と伴い、ハッとするような美しいシーンが続く。まさにベテランの職人芸を堪能できよう。
実力派俳優陣の決して前に出ない芝居や所作もまた格調高い。
特に、監督はこのシーンを撮りたかったんだなとつくづく思わせるラスト・シーン。役所広司の背中で語る妙演もあいまって、爽快かつ重厚な名シーンとなっている。堂々の小泉劇場といってよい。
がしかし、総じた評価は…、ごめんなさい、残念作という他ない。
圧倒的に足りないのは、ケレン味である。
まず本作は、一体誰の視点の映画なのか?普通に考えると庄三郎なのだが、彼の眼を通した話になってはいない。彼と薫の淡い恋愛、郁太郎との兄弟の絆も薄味だ。信吾との関係性など、説明不足で意味不明の域である。そもそも、はじめから高潔に過ぎよう。原作通り、秋谷に触れて青二才が成長していくプロセスをきっちり描いてほしかった。ラストのリアクションすら映されない彼の存在感は極めて弱い。どうも監督の興味が、全体的に秋谷に寄り過ぎている。
そして、映画化に際して一番懸念していたのが、秋谷の密通事件の真相となる“お家騒動”の顛末だ。小説ではそれなりにミステリーとして読ませるが、映像にするとしゃべりだけで、つまらなくなるのは明白である。どうするのか?と興味をもって見守っていたら、なんとそのままやっていた。尺をさいている割に退屈である。
ここはおもいきった脚色を施し、シンプルにすべきではなかったか?
加えて、もうひとつの流れとして本作には、農民と商人、武士との階級の確執があり、その駆け引きの緊張感が重要なテーマとなっている。なぜ秋谷のような人物が脱落して、狡猾な輩が上に君臨する羽目になるのか?このどうしようもない構造が、現実の政治と鏡写しとなっているのはいうまでもない。でも映画では、このパートの問題提起は、ほとんど伝わらない。もっと整理して、ドラマチックに処理すべきである。
村に起こる不気味な殺人事件もそれにからむ藩の権力抗争も、淡白に抑え過ぎだ。ゆえにクライマックスの悲劇も、驚くほど盛り上がらない。ここらの庄三郎と郁太郎のシーンは、原作では唇を噛みしめながら読んだパートだけに、あっさりし過ぎて拍子抜けであった。悪人役の家老、中根(串田和美)の扱いも酷過ぎる。
多くを語らず、黙して観客に察するよう即し、日本人のつつましい美徳を表現せんとした演出の狙いはわかる。実に崇高な意図だと思う。そこでオリジナリティを出そうとしたのかもしれない。だが、それは秋谷のキャラだけでよかった。だからこそメリハリが生まれ、彼の気高さが際立つというもの。当演出を全てのキャラに当てはめ、ストーリーをも味気なくしてしまったのが、本作の敗因ではなかろうか?
一流のスタッフとキャスト、原作が揃った期待作だっただけに残念!
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