問題児が投げかける色情狂時代、前編!
生命の根源でありながら(あるがゆえに)、タブー視される性描写。そこに果敢に挑んだセンセーショナルな一作の登場である。
本作は、数々の問題作、問題行動で名を馳せるデンマークの鬼才ラース・フォン・トリアー監督作。『アンチクライスト』(09)、『メランコリア』(11)と紡いできた“鬱”三部作の完結編だ。当監督については常々、苦手意識を表明している僕だが、自身の病まで糧に圧倒的な作家性でみせきる映画魂には平服するしかない。なんだかんだで劇場に吸い寄せられてしまうのも、むべなるかな。
しかも今回はタイトルからして、“色情狂”だ。エロをオシャレにコーティングするアート系は数あれ、今回はそのものズバリで、さぞかし女性客は気まずかろうと余計なお世話も焼きたくなるが、はたしてその内容は如何に…!?
雪の舞う、凍えるような冬の夕暮れ。年配の独身男セリグマン(ステラン・スカルスガルド)は、裏路地でけがをして倒れている女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)を発見。部屋に連れ帰って、介抱する。回復したジョーはセリグマンに、自分は幼い頃から“性”に強い関心を抱いていた“ニンフォマニアック”であることを告白。早熟だった生い立ちから、多種多様な男性遍歴を赤裸々に語り出すのであった…。
一体どんなエゲツないものをみせられるのか、と身構えて臨んだのだが…、その点ではハッキリいって拍子抜けであった。やってることはいつものトリアー節で、挑発的で迷宮的な内容とあけすけな性描写が続く。でも全然、生々しくない。というかエロくない。そして、さほどドス黒くもない。
どん底まで落ち込み、研ぎ澄まされ、結果、ドロドロしたものが丸くなった印象である。
ひとつに本作は、セリグマンがジョーから話を聴くというワンクッションは入った構成にあろう。これによりジョーの色情狂としての半生の寓話性が高まり、いつもより距離ができる分、入っていき易く、分かりやすいエンタメと化しているのだ。
セリグマンは堅物の博識キャラで、ひと段落つぐ度に、いちいちジョーの話を分析。フライフィッシングやファボナッチ数列、バッハと、あたかもいつものトリアーの煙に巻くメタファー演出を噛んで含めて解説してくれるのだから、何をかいわんや。これがめっぽう可笑しく、同時にポップ化する効果をあげている。当キャラのおかげで一般人とてして安心する余地があり、いつもの落ち込みが緩和されるとでもいおうか。
性の目覚めとなる子供時代の無邪気なお遊びから、ワイルドな男(シャイア・ラブーフ)への初恋とみじめな初体験。悪友(ソフィ・ケネディ・クラーク)とゲーム感覚で男を漁る高校生活。そんなジョーにいいように転がされ、時に人生を狂わされる男のみっともなさ。父親(クリスチャン・スレーター)との関係性。不毛な性生活からようやく愛という感情が芽生えるも、上手くはいかない皮肉な顛末…。
章立てで綴られるそれらの逸話も、各々趣向が凝らされ見応えたっぷりだ。
それに何といっても、こんなハードな作品に有名人がズラッと並ぶ異様な光景は、トリアー作品ならでは。
壮年のジョーを演じるシャルロット・ゲンズブールは、本作での活躍はナシ。今パートの主役は、若い頃のジョーを演じたステイシー・マーディンとなる。
少女時代から見守るシャルロット・ウォッチャーからすると、同人物を演じる二人の体型に違和感がない点が大変よろしい。よくぞ見つけた逸材だ。妖艶な体当たり芝居は、圧巻である。(※でも結合シーンは、吹替)
初恋の君ジェロームにシャイア・ラブーフ、父親役にクリスチャン・スレーターが登場。そして第3章では、ユマ・サーマンが見せ場をさらっていく。
観る前は、彼女がどう扱われるのか興味津々だったが、意外にもコメディ・リリーフでビックリ。劇中一番の怖くも爆笑の面白キャラになっているので、お楽しみに。
という訳で、ここで少々上映形態について物申したい。
『るろうに剣心』や『ロード・オブ・ザ・リング』といった、端から分割目的の興行には、別段文句はない。しかし、去年公開された『セデック・バレ』(11)もそうだが、もともと一本の構造の作品を二本に分けるのは如何なものか?本作も明らかに一本の作品をぶった切っている。せめて『Vol.1』、『vol.2』を同時公開にしてほしかったところである。
もう最後のブツ切り感が半端なくイライラするし、話が終わってない分、総括しようもない。連続して観ればよかったと後悔中である。
よって、全ての判断は、『vol.2』にて。
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング
生命の根源でありながら(あるがゆえに)、タブー視される性描写。そこに果敢に挑んだセンセーショナルな一作の登場である。
本作は、数々の問題作、問題行動で名を馳せるデンマークの鬼才ラース・フォン・トリアー監督作。『アンチクライスト』(09)、『メランコリア』(11)と紡いできた“鬱”三部作の完結編だ。当監督については常々、苦手意識を表明している僕だが、自身の病まで糧に圧倒的な作家性でみせきる映画魂には平服するしかない。なんだかんだで劇場に吸い寄せられてしまうのも、むべなるかな。
しかも今回はタイトルからして、“色情狂”だ。エロをオシャレにコーティングするアート系は数あれ、今回はそのものズバリで、さぞかし女性客は気まずかろうと余計なお世話も焼きたくなるが、はたしてその内容は如何に…!?
雪の舞う、凍えるような冬の夕暮れ。年配の独身男セリグマン(ステラン・スカルスガルド)は、裏路地でけがをして倒れている女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)を発見。部屋に連れ帰って、介抱する。回復したジョーはセリグマンに、自分は幼い頃から“性”に強い関心を抱いていた“ニンフォマニアック”であることを告白。早熟だった生い立ちから、多種多様な男性遍歴を赤裸々に語り出すのであった…。
一体どんなエゲツないものをみせられるのか、と身構えて臨んだのだが…、その点ではハッキリいって拍子抜けであった。やってることはいつものトリアー節で、挑発的で迷宮的な内容とあけすけな性描写が続く。でも全然、生々しくない。というかエロくない。そして、さほどドス黒くもない。
どん底まで落ち込み、研ぎ澄まされ、結果、ドロドロしたものが丸くなった印象である。
ひとつに本作は、セリグマンがジョーから話を聴くというワンクッションは入った構成にあろう。これによりジョーの色情狂としての半生の寓話性が高まり、いつもより距離ができる分、入っていき易く、分かりやすいエンタメと化しているのだ。
セリグマンは堅物の博識キャラで、ひと段落つぐ度に、いちいちジョーの話を分析。フライフィッシングやファボナッチ数列、バッハと、あたかもいつものトリアーの煙に巻くメタファー演出を噛んで含めて解説してくれるのだから、何をかいわんや。これがめっぽう可笑しく、同時にポップ化する効果をあげている。当キャラのおかげで一般人とてして安心する余地があり、いつもの落ち込みが緩和されるとでもいおうか。
性の目覚めとなる子供時代の無邪気なお遊びから、ワイルドな男(シャイア・ラブーフ)への初恋とみじめな初体験。悪友(ソフィ・ケネディ・クラーク)とゲーム感覚で男を漁る高校生活。そんなジョーにいいように転がされ、時に人生を狂わされる男のみっともなさ。父親(クリスチャン・スレーター)との関係性。不毛な性生活からようやく愛という感情が芽生えるも、上手くはいかない皮肉な顛末…。
章立てで綴られるそれらの逸話も、各々趣向が凝らされ見応えたっぷりだ。
それに何といっても、こんなハードな作品に有名人がズラッと並ぶ異様な光景は、トリアー作品ならでは。
壮年のジョーを演じるシャルロット・ゲンズブールは、本作での活躍はナシ。今パートの主役は、若い頃のジョーを演じたステイシー・マーディンとなる。
少女時代から見守るシャルロット・ウォッチャーからすると、同人物を演じる二人の体型に違和感がない点が大変よろしい。よくぞ見つけた逸材だ。妖艶な体当たり芝居は、圧巻である。(※でも結合シーンは、吹替)
初恋の君ジェロームにシャイア・ラブーフ、父親役にクリスチャン・スレーターが登場。そして第3章では、ユマ・サーマンが見せ場をさらっていく。
観る前は、彼女がどう扱われるのか興味津々だったが、意外にもコメディ・リリーフでビックリ。劇中一番の怖くも爆笑の面白キャラになっているので、お楽しみに。
という訳で、ここで少々上映形態について物申したい。
『るろうに剣心』や『ロード・オブ・ザ・リング』といった、端から分割目的の興行には、別段文句はない。しかし、去年公開された『セデック・バレ』(11)もそうだが、もともと一本の構造の作品を二本に分けるのは如何なものか?本作も明らかに一本の作品をぶった切っている。せめて『Vol.1』、『vol.2』を同時公開にしてほしかったところである。
もう最後のブツ切り感が半端なくイライラするし、話が終わってない分、総括しようもない。連続して観ればよかったと後悔中である。
よって、全ての判断は、『vol.2』にて。
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング