日本情緒ただよう痛快アメコミ・ヒーロー・アニメ!
純然たるディズニーのフルCGアニメながら、アメコミヒーローものであり、日本アニメのエッセンスも色濃く香る不思議なエンタメ作品であった。
『アナと雪の女王』(13)の歴史的ヒットも記憶に新しく、今なおそのブランド力を見せつけたディズニー・アニメ。さらに次に放つ本作の原作が、傘下に入ったマーベルコミックというのだから驚きである。マーベルといえば、実写のイメージが強いが、考えてみれば、アニメ化するのが順当であろう。
でも予告編を見ると、マーベル・ヒーローものというより『アイアン・ジャイアント』(99)系の感動ものであり、それでいて昨今、影響力を拡大している中国ではなく、ここにきて日本文化にオマージュを捧げた内容が垣間見えたりと、事前情報は若干カオス状態。一体全体どんな映画に仕上がっていたのか…!?
近未来都市サンフランソウキョウ。14歳のヒロは、飛び級ですでに高校を卒業しているロボット工学の天才少年。3歳の頃、両親を亡くし、現在は伯母キャスのもとで兄タダシと共に暮らし、学校へは行かずに違法ロボット・ファイトに興じる日々を過ごしていた。そんなヒロを見かねたタダシは、自身の通うサンフランソウキョウ工科大学にヒロを連れていき、研究室の仲間やロボット工学の第一人者キャラハン教授を紹介。感銘をうけたヒロは大学へ入学するべく、研究発表会への参加を決意する。そして苦心の末、マイクロボットの集合体を思うがままの構造物に変化させる発明を披露し、キャラハン教授を唸らせるのであった。しかしその直後、急に会場に火の手が上がり、逃げ遅れた教授と助けに入ったタダシが命を落としてしまう。
唐突に兄を失い、悲しみのどん底に落ちたヒロは、部屋に引きこもる無気力な日々を送っていた。すると、そんなヒロの前に、生前にタダシがつくった白い風船のようなケア・ロボット“ベイマックス”が現れて…。
主人公からして日系人(?)であるように、劇中には日本要素が溢れ返っている。舞台となる街もサンフランシスコと東京を合体させた、まさに和洋折衷。若干、中国っぽいところもあるが、有楽町や新橋、歌舞伎町を綿密にリサーチしたであろう光景や細かい小道具に至るまで、なんちゃって感のない日本描写は感心するほど本格的である。
なぜ今さら日本をピックアップ?と疑問に思うが、映画雑誌『スクリーン』(2015年2月号)の西森マリー氏のコラムによると、我々が思う以上にアメリカ人にとってロボット=日本というイメージは定着しているそうな。
というのも、“神が自らに似せて人間をつくった”とするキリスト教の教義上、人が人型のロボットをつくる行為は神への冒涜とする考えが当国に根付いており、期せずしてロボット工学の遅れを招いたのである。その隙に『鉄腕アトム』、『鉄人28号』等、我が国ではアニメや漫画を筆頭に人型ロボットの発想が拡散し、ロボット工学も発展。一躍、当分野の先進国となり、アメリカ人に“日本”=“ロボット”のイメージを植えつけたのである。要は政治的な意味合いはなく、『ロボコップ』(87)から、『リアル・スティール』(11)、『パシフィック・リム』(13)とロボットを題材にすれば、自動的に日本が浮かび上がってくるだけなのだ。(もちろんジョン・ラセターやドン・ホール&クリス・ウィリアムズ監督の日本愛もあろうが)
また本編の内容も、マーベルコミックのオリジナルを原型がとどめないほど改変。『ドラえもん』や『マジンガーZ』、果ては『スーパー戦隊シリーズ』といった日本文化の伝統を寄せ集め、ごっちゃにしたストーリーになっている。こうまでやられると、親近感もわくし、悪い気はしない。作品を応援したくなろうというもの。
ストーリーも例のごとくしっかり組まれた安心仕様。タダシの死の原因をつくった謎の怪人“カブキマン”の陰謀に、ベイマックスと共に立ち向かっていくヒロ。ケア・ロボットであるベイマックスを、そうした戦いの渦中に放り込むことで発する、“戦いは必要?”という疑問から、“復讐の愚”まで健全なメッセージがストレートに心に響く。
同じ痛みをもつカブキマンとヒロの対比からの、ヒロの人間的成長。逆転の発想の大切さ。そして家族や仲間の温かさ。怒涛の伏線回収劇の中、気恥ずかしいぐらいのテーマが見事な収束をみせる。
ロボットのギミックを駆使したアクションの痛快さはいわずもがな。カブキマンをはじめ、それぞれの能力は真新しくはないものの、期待に違わぬハラハラドキドキのアトラクションを楽しめよう。
もちろん、あざとく分かってはいても、最後はきっちりと泣かせてくれる。
そんな本作最大の見どころといえば、何をおいてもベイマックスのキャラ。こいつの愛らしいこと!プワふにゃのボディは、思わず抱きしめたくなるほどの質感を誇っており、鈴をモチーフにしたというシンプルな顔が雄弁に感情を物語る。悪しき心もそのボディと優しい言葉で抱擁され、吸収されるかのよう。見ているだけで幸福に包まれることうけあいである。一台欲しい!と本気で思う。
…と、娯楽作としては、最高ではあるのだが、個人的に感じた不満点を少々。
まず、兄タダシとの導入部が意外に長い。ここはセオリー通りに、ベイマックスとの共同生活からはじめ、過去を紐解いてもよかったのでは?二人の関係にもっと時間をさいてほしかった。
また、ベイマックスとヒロの『ドラえもん』的な要素と、チーム・ヒーローものというふたつの友情モノが合体した構造も如何なものか。現に宣伝では、アメリカではそれこそマーベル然としたヒーロー活劇として、日本ではヒロとベイマックスの感動モノとして売り出している。(原題も『Big Hero 6』)
かように「どう観たらいいのか?」という分裂傾向が災いし、ベイマックスの強烈なキャラに全てを持っていかれて、ヒロに協力し、ヒーローとして覚醒するタダシの仲間たちの存在が薄れてしまった。富豪の息子フレッド、明るくキュートなハニー・レモン、几帳面なワサビ、クールなゴー・ゴーと、各自キャラも立っているし、見せ場も用意されているだけに、もったいない限り。
しかしながら、『アナ雪』の姉妹は王子様を卒業して、「ありのまま」に人生を切り開く女性像を描いたが、対して本作の主人公は、周囲に甘えて導かれ、ヒーローへの理想を捨てない。この辺り、現代男女評になっているようでいて、ちょっと興味深い。
あと、エンドロール後にオマケ映像があるのだが、これが実にマニアック。映画ファンなら爆笑だろうが、普通のファミリー層は確実に置いていかれよう。この温度差もまた得難い体験である。(笑)
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング
純然たるディズニーのフルCGアニメながら、アメコミヒーローものであり、日本アニメのエッセンスも色濃く香る不思議なエンタメ作品であった。
『アナと雪の女王』(13)の歴史的ヒットも記憶に新しく、今なおそのブランド力を見せつけたディズニー・アニメ。さらに次に放つ本作の原作が、傘下に入ったマーベルコミックというのだから驚きである。マーベルといえば、実写のイメージが強いが、考えてみれば、アニメ化するのが順当であろう。
でも予告編を見ると、マーベル・ヒーローものというより『アイアン・ジャイアント』(99)系の感動ものであり、それでいて昨今、影響力を拡大している中国ではなく、ここにきて日本文化にオマージュを捧げた内容が垣間見えたりと、事前情報は若干カオス状態。一体全体どんな映画に仕上がっていたのか…!?
近未来都市サンフランソウキョウ。14歳のヒロは、飛び級ですでに高校を卒業しているロボット工学の天才少年。3歳の頃、両親を亡くし、現在は伯母キャスのもとで兄タダシと共に暮らし、学校へは行かずに違法ロボット・ファイトに興じる日々を過ごしていた。そんなヒロを見かねたタダシは、自身の通うサンフランソウキョウ工科大学にヒロを連れていき、研究室の仲間やロボット工学の第一人者キャラハン教授を紹介。感銘をうけたヒロは大学へ入学するべく、研究発表会への参加を決意する。そして苦心の末、マイクロボットの集合体を思うがままの構造物に変化させる発明を披露し、キャラハン教授を唸らせるのであった。しかしその直後、急に会場に火の手が上がり、逃げ遅れた教授と助けに入ったタダシが命を落としてしまう。
唐突に兄を失い、悲しみのどん底に落ちたヒロは、部屋に引きこもる無気力な日々を送っていた。すると、そんなヒロの前に、生前にタダシがつくった白い風船のようなケア・ロボット“ベイマックス”が現れて…。
主人公からして日系人(?)であるように、劇中には日本要素が溢れ返っている。舞台となる街もサンフランシスコと東京を合体させた、まさに和洋折衷。若干、中国っぽいところもあるが、有楽町や新橋、歌舞伎町を綿密にリサーチしたであろう光景や細かい小道具に至るまで、なんちゃって感のない日本描写は感心するほど本格的である。
なぜ今さら日本をピックアップ?と疑問に思うが、映画雑誌『スクリーン』(2015年2月号)の西森マリー氏のコラムによると、我々が思う以上にアメリカ人にとってロボット=日本というイメージは定着しているそうな。
というのも、“神が自らに似せて人間をつくった”とするキリスト教の教義上、人が人型のロボットをつくる行為は神への冒涜とする考えが当国に根付いており、期せずしてロボット工学の遅れを招いたのである。その隙に『鉄腕アトム』、『鉄人28号』等、我が国ではアニメや漫画を筆頭に人型ロボットの発想が拡散し、ロボット工学も発展。一躍、当分野の先進国となり、アメリカ人に“日本”=“ロボット”のイメージを植えつけたのである。要は政治的な意味合いはなく、『ロボコップ』(87)から、『リアル・スティール』(11)、『パシフィック・リム』(13)とロボットを題材にすれば、自動的に日本が浮かび上がってくるだけなのだ。(もちろんジョン・ラセターやドン・ホール&クリス・ウィリアムズ監督の日本愛もあろうが)
また本編の内容も、マーベルコミックのオリジナルを原型がとどめないほど改変。『ドラえもん』や『マジンガーZ』、果ては『スーパー戦隊シリーズ』といった日本文化の伝統を寄せ集め、ごっちゃにしたストーリーになっている。こうまでやられると、親近感もわくし、悪い気はしない。作品を応援したくなろうというもの。
ストーリーも例のごとくしっかり組まれた安心仕様。タダシの死の原因をつくった謎の怪人“カブキマン”の陰謀に、ベイマックスと共に立ち向かっていくヒロ。ケア・ロボットであるベイマックスを、そうした戦いの渦中に放り込むことで発する、“戦いは必要?”という疑問から、“復讐の愚”まで健全なメッセージがストレートに心に響く。
同じ痛みをもつカブキマンとヒロの対比からの、ヒロの人間的成長。逆転の発想の大切さ。そして家族や仲間の温かさ。怒涛の伏線回収劇の中、気恥ずかしいぐらいのテーマが見事な収束をみせる。
ロボットのギミックを駆使したアクションの痛快さはいわずもがな。カブキマンをはじめ、それぞれの能力は真新しくはないものの、期待に違わぬハラハラドキドキのアトラクションを楽しめよう。
もちろん、あざとく分かってはいても、最後はきっちりと泣かせてくれる。
そんな本作最大の見どころといえば、何をおいてもベイマックスのキャラ。こいつの愛らしいこと!プワふにゃのボディは、思わず抱きしめたくなるほどの質感を誇っており、鈴をモチーフにしたというシンプルな顔が雄弁に感情を物語る。悪しき心もそのボディと優しい言葉で抱擁され、吸収されるかのよう。見ているだけで幸福に包まれることうけあいである。一台欲しい!と本気で思う。
…と、娯楽作としては、最高ではあるのだが、個人的に感じた不満点を少々。
まず、兄タダシとの導入部が意外に長い。ここはセオリー通りに、ベイマックスとの共同生活からはじめ、過去を紐解いてもよかったのでは?二人の関係にもっと時間をさいてほしかった。
また、ベイマックスとヒロの『ドラえもん』的な要素と、チーム・ヒーローものというふたつの友情モノが合体した構造も如何なものか。現に宣伝では、アメリカではそれこそマーベル然としたヒーロー活劇として、日本ではヒロとベイマックスの感動モノとして売り出している。(原題も『Big Hero 6』)
かように「どう観たらいいのか?」という分裂傾向が災いし、ベイマックスの強烈なキャラに全てを持っていかれて、ヒロに協力し、ヒーローとして覚醒するタダシの仲間たちの存在が薄れてしまった。富豪の息子フレッド、明るくキュートなハニー・レモン、几帳面なワサビ、クールなゴー・ゴーと、各自キャラも立っているし、見せ場も用意されているだけに、もったいない限り。
しかしながら、『アナ雪』の姉妹は王子様を卒業して、「ありのまま」に人生を切り開く女性像を描いたが、対して本作の主人公は、周囲に甘えて導かれ、ヒーローへの理想を捨てない。この辺り、現代男女評になっているようでいて、ちょっと興味深い。
あと、エンドロール後にオマケ映像があるのだが、これが実にマニアック。映画ファンなら爆笑だろうが、普通のファミリー層は確実に置いていかれよう。この温度差もまた得難い体験である。(笑)
↓本記事がお気に入りましたら、ポチッとクリックお願いいたします!
にほんブログ村
人気ブログランキング