観る者を揺さぶる驚愕のギドク劇場!
これぞギドク映画としかいいようのない複雑怪奇な珍品であった。
本作は、奇才の名を欲しいままにする韓国の巨匠、キム・ギドク監督が送る問題作。『嘆きのピエタ』(12)にてヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞してもなお、その地位に甘んじることなく、さらなる領域に踏み込まんとするギドク監督。本作は、セリフが一切ない上に、過激な描写をめぐって韓国の映倫と一触即発になったという事前情報から、とんでもなくヤバイ雰囲気がプンプン匂ってくる。さらに『春夏秋冬そして春』(03)とタイトルの意味合いがたぶり、いつもの宗教的テーマも窺えるのだから何をかいわんや。
はたして、今回はどんなショッキング・ワールドを披露してくれるのか?おっかなびっくり劇場へ向かったのだが…。
父(チョ・ジェヒョン)、母(イ・ウヌ)、息子(ソ・ヨンジュ)の3人で構成される韓国のとある上流家庭。しかし、近所の雑貨店の女(イ・ウヌ 二役)と浮気をする父のおかげで家庭内は冷えきっていた。ある夜、嫉妬に狂った母が父の性器を切り取ろうと寝室に忍び込むも、間一髪、気付いた父はそれを阻止。部屋を追い出された母は、あろうことか今度は寝入った息子の性器を切断し、行方をくらますのであった。途方にくれる残された父と息子。やがて息子は同級生のいじめを受け、父は罪悪感から自らの性器を手術で切除するのだが…。
本作は、“セリフなし”ではあるもののサイレント映画という訳ではなく、いうなれば、人物がしゃべっているところ以外でつないだドラマといおうか。要は言葉以外の環境音はちゃんとある、妙な世界観である。
しかも、そこで繰り広げられるのは、ギドク印のおよそ理解が追いつかない奇妙な登場人物が織り成す奇妙な行動の博覧会。夫の不貞に錯乱した妻が夫の性器を切ろうとする行動までは分かるが、失敗して息子に矛先を向け、あまつさえ性器を食してしまうのだから突飛極まりない。色々と解釈は出来ようが、とりあえず意味不明の濃霧に包まれよう。
そうしたトンデモ要素が揃った寓話を、臨場感たっぷりに生々しく、グイグイみせてしまうのだから、このギドクの才能を誰しも否定はできまい。
人類を形づくる根源的な要素、生命誕生のもととなるのが男女間の性欲である。本作は、性器を失った父子を通して、ダイレクトに性欲をテーマに物語を紡いでいく。
本来、宦官よろしく性器をなくした男性は、権力一筋になるのが定説。そこをギドクは、欲望には限りがなく、性器がなくても人は新たな性的刺激を模索すると定義。その秘技を父と子は真面目に研究し、悪戦苦闘して探し当てる。(愛人と彼女を犯したチンピラの歪んだ関係もまた然り)
ギドク曰く、本作は“笑い”、“泣く”、“叫ぶ”だけの表現を試みたという。この辺りは紛れもなく“笑い”のパートであり、まんまコメディである。
終盤は、出戻った母を迎えて、“男性器の旅”ともいえるとんでもない展開を辿る。“エディプスコンプレックス”を暗喩した壮絶な様相には、ただただ呆然。
そしてラストには、仏教的な輪廻に帰結して、なぜか崇高な気持ちにおそわれる。
こんな無茶苦茶な映画は、キム・ギドクにしか造れまい。
ちなみに女優さんに一人二役を演じさせたこともテーマに合致し、至極印象的であるのだが、これは「単に他の女優さんが降板した偶然の賜物」と笑い飛ばすのだから、ギドク恐るべし、である。
ただ、映倫とやりあって編集を重ね、表現自体がソフトになっているのが、ちょっと物足りない。もっと突き抜けてもいいと思う。
でもこの商業性に理解を示すギドクの姿勢(お金に困っているだけかもしれないが…)は、彼が気難しい悲観的なアート作家ではないことの証しであろう。ドギツイ描写はあれ、全編に漂う滑稽さは、人間讃歌でもある。所詮、人間自体が下ネタなのだ。
この辺りを笑って受け入れるのが、ギドク作品を楽しむコツであろう。特に本作はシリアスにとると、バカバカしくなってくるに違いない。
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これぞギドク映画としかいいようのない複雑怪奇な珍品であった。
本作は、奇才の名を欲しいままにする韓国の巨匠、キム・ギドク監督が送る問題作。『嘆きのピエタ』(12)にてヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞してもなお、その地位に甘んじることなく、さらなる領域に踏み込まんとするギドク監督。本作は、セリフが一切ない上に、過激な描写をめぐって韓国の映倫と一触即発になったという事前情報から、とんでもなくヤバイ雰囲気がプンプン匂ってくる。さらに『春夏秋冬そして春』(03)とタイトルの意味合いがたぶり、いつもの宗教的テーマも窺えるのだから何をかいわんや。
はたして、今回はどんなショッキング・ワールドを披露してくれるのか?おっかなびっくり劇場へ向かったのだが…。
父(チョ・ジェヒョン)、母(イ・ウヌ)、息子(ソ・ヨンジュ)の3人で構成される韓国のとある上流家庭。しかし、近所の雑貨店の女(イ・ウヌ 二役)と浮気をする父のおかげで家庭内は冷えきっていた。ある夜、嫉妬に狂った母が父の性器を切り取ろうと寝室に忍び込むも、間一髪、気付いた父はそれを阻止。部屋を追い出された母は、あろうことか今度は寝入った息子の性器を切断し、行方をくらますのであった。途方にくれる残された父と息子。やがて息子は同級生のいじめを受け、父は罪悪感から自らの性器を手術で切除するのだが…。
本作は、“セリフなし”ではあるもののサイレント映画という訳ではなく、いうなれば、人物がしゃべっているところ以外でつないだドラマといおうか。要は言葉以外の環境音はちゃんとある、妙な世界観である。
しかも、そこで繰り広げられるのは、ギドク印のおよそ理解が追いつかない奇妙な登場人物が織り成す奇妙な行動の博覧会。夫の不貞に錯乱した妻が夫の性器を切ろうとする行動までは分かるが、失敗して息子に矛先を向け、あまつさえ性器を食してしまうのだから突飛極まりない。色々と解釈は出来ようが、とりあえず意味不明の濃霧に包まれよう。
そうしたトンデモ要素が揃った寓話を、臨場感たっぷりに生々しく、グイグイみせてしまうのだから、このギドクの才能を誰しも否定はできまい。
人類を形づくる根源的な要素、生命誕生のもととなるのが男女間の性欲である。本作は、性器を失った父子を通して、ダイレクトに性欲をテーマに物語を紡いでいく。
本来、宦官よろしく性器をなくした男性は、権力一筋になるのが定説。そこをギドクは、欲望には限りがなく、性器がなくても人は新たな性的刺激を模索すると定義。その秘技を父と子は真面目に研究し、悪戦苦闘して探し当てる。(愛人と彼女を犯したチンピラの歪んだ関係もまた然り)
ギドク曰く、本作は“笑い”、“泣く”、“叫ぶ”だけの表現を試みたという。この辺りは紛れもなく“笑い”のパートであり、まんまコメディである。
終盤は、出戻った母を迎えて、“男性器の旅”ともいえるとんでもない展開を辿る。“エディプスコンプレックス”を暗喩した壮絶な様相には、ただただ呆然。
そしてラストには、仏教的な輪廻に帰結して、なぜか崇高な気持ちにおそわれる。
こんな無茶苦茶な映画は、キム・ギドクにしか造れまい。
ちなみに女優さんに一人二役を演じさせたこともテーマに合致し、至極印象的であるのだが、これは「単に他の女優さんが降板した偶然の賜物」と笑い飛ばすのだから、ギドク恐るべし、である。
ただ、映倫とやりあって編集を重ね、表現自体がソフトになっているのが、ちょっと物足りない。もっと突き抜けてもいいと思う。
でもこの商業性に理解を示すギドクの姿勢(お金に困っているだけかもしれないが…)は、彼が気難しい悲観的なアート作家ではないことの証しであろう。ドギツイ描写はあれ、全編に漂う滑稽さは、人間讃歌でもある。所詮、人間自体が下ネタなのだ。
この辺りを笑って受け入れるのが、ギドク作品を楽しむコツであろう。特に本作はシリアスにとると、バカバカしくなってくるに違いない。
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