普遍的な切れ味光る、社会派コメディ!
世の中が情報化社会と称されるようになって幾星霜。いまやメディアのつくった流行に大衆は確信犯的に踊らされ、なおかつ警戒は怠らない処世術を皆が備えるようになっている。でも自覚はあれど、なんだかんだで結果的に手の内で転がされている現状は、かなしいかな変わってはいない。
さらにネットに溢れる有象無象の情報に溺れ、情報ジャンキーの症状が蔓延。刻一刻と時代は変化し、その都度問題が噴出するがゆえ、未来への不安の種は尽きない。
本作は、1958年の段階でそうした社会情勢へ警鐘を鳴らし、鋭く問題に切り込んだ社会派喜劇の傑作である。芥川賞作家の開高健がサントリーの前身、寿屋の宣伝部員時代の経験を活かして執筆した同名短編小説の映画化だ。
大手お菓子会社、ワールド製菓では主力商品のキャラメルの売り上げ不振に、早急な対応を迫られていた。宣伝課課長の合田(高松英郎)は、新人社員の西(川口浩)と共に、子供の注目を集める景品を模索。と同時に、喫茶店でたまたま見かけた虫歯だらけの少女、京子(野添ひとみ)に可能性を直感した合田はすかさず彼女をスカウト。写真家の春川(伊藤雄之助)に京子を託すと、写真上の彼女はたちまち天性の輝きを放ち、雑誌メディアの話題をさらっていく。一方、西は学生時代の友人であり、ライバル会社のジャイアンツ製菓に勤める横山(藤山浩一)と再会。横山から同じくライバル会社のアポロ製菓に勤める雅美(小野道子)を紹介され、情報交換に興ずるのであった。
やがて宇宙服を景品とするワールド、ポケットモンキーといった小動物を景品とするジャイアンツ、子供への奨学金という異例の景品を打ち出したアポロ、とメジャー三者による特売合戦が開幕。京子をイメージ・キャラクターに抜擢したワールドは評判を呼ぶも、母親層をターゲットにしたアポロの成績が一歩抜きんでて…。
監督は、大映で斬新な意欲作を量産した名匠、増村保造。大映に入社後、溝口健二や市川崑のもとで助監督を務め、一方、黒澤明論を執筆する批評家の一面を持ち、イタリアに映画留学。フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティに学び、英文で論文を発表する等、まさに映画史と職人的現場に精通したハイ・スペック超人である。
東大法学部で三島由紀夫と同期であり、後に作品をコラボすることからも映画界の三島由紀夫という先鋭インテリ・イメージを持たれている方も多かろう。
監督デビューを果たしてからは、批評的見地からかつてなかった人物像やモダンな表現技法を打ち出し、邦画界を席捲。新時代の旗手と持て囃される傍ら、いまいち大衆の支持は得られなかった。我が国では、どうしても海外仕込みの優等生は外国かぶれと排他される傾向が観客側、業界側共に依然として強く、実はそれは今でも変わってはいない。
極めて完成度の高い全57作という膨大な監督作を発表しているにも関わらず、あまり世間に浸透していない現状評価は明らかに不当であろう。
個人的には、数年前にケーブルテレビで監督特集を観て、その偉大さを痛感させられた。折にふれて再評価の機運が高まっている監督さんである。
本作『巨人と玩具』もキネマ旬報のベスト・テンにはじめて選出される栄誉こそ得たが、ヒットには恵まれなかった。「俺は10年早かった」というのが監督の口癖だったそうだが、まさに言い得て妙。本作も早すぎた名作といえよう。
主人公の新入社員、西洋介は「いい商品を堅実につくれば、客は自動的に着いてくるのでは?」という良心的な思想をまだもっている。しかし、会社はそんな西を青くさいと切り捨て、「愚かな大衆を我々が導き操る!」といわんばかりの上から目線の洗脳商法を展開。疑問を抱きつつも西は生き馬の眼を抜く宣伝戦争に飲み込まれ、感覚が麻痺し、気付けば会社の歯車と化していく。
西の上司の合田竜次は、上司の娘を娶り出世街道を驀進する野心家。遮二無二、利益を求めて暴走していくうちに人間性を失っていき、疲れを癒すために薬物に手を出し、ついには体調を崩して身を滅ぼしてしまう。
合田に見出された島京子は、急激に世間に祀り上げられ、タクシー会社の事務員という貧しい境遇から一気に、(今でいう)アイドルへと大躍進。天真爛漫で垢抜けなかった彼女が、どんどん洗練され高飛車になっていく様子に呆然…。
この三者三様の変転を通して、仕事中毒やアイドル・ブームといった“使い捨て”文化を的確に捉えた先見の明に唸らざるをえない。当時ショッキングな内容であった本作が、今観るともはや定番といえる在りきたりの物語になっているところが妙味というか何というか…。冒頭で記したように、むしろ進化のなさに空恐ろしさを覚えよう。
本作の構造は、至ってシンプル。大手製菓会社の宣伝対決の行方、西&京子&雅美の恋の鞘当ての顛末や、合田の破滅、等々、ストーリーはオーソドックスに進む。
だが、本作がアバンギャルドであるのは、その語り口!登場人物は速射砲のようにとにかくしゃべりまくり、カットもテンポよく切り替わり、スピーディーな展開にあれよあれよという間にエンドマークをむかえてしまう。
こうした手法は監督の得意技ではあるのだが、本作に関しては観客に考える余地を与えないことで、メディアの洗脳を体感させる狙いがみてとれよう。要は無意識下に入ってくる巧みな宣伝戦略を、身をもって分からせているのである。
そうしたアプローチでエンタメに仕上げてしまうのだから、監督の演出力にただただ脱帽。今観ても度肝を抜かれることうけあいである。
僕も子供の頃、たまたま本作をTVで眼にし、訳もわからず最後まで引き込まれてしまったトワイライトな体験が忘れられない。
増村監督との名コンビで数々の傑作を送り出した脚本家、白坂依志夫の卓越した脚色術にもご注目。氏に関しては、月刊シナリオ誌連載のエッセイで明かされた華やかな女性遍歴に圧倒されたが、本職においても天賦の才に疑いナシ!原作の情緒に訴える場面をオミットし、膨大な活きたダイアローグでまとめたチャレンジングな作劇は見事の一言である。
初々しい大映トップスターの川口浩、後に実生活でその妻となる野添ひとみ、悪役俳優としての凄みをみせる高松英郎、強かに社会を渡る魔性の女の小野道子(=長谷川季子、長谷川一夫の娘さんですな)、等々、役者陣も怒涛の増村演出に必死に喰らいついている。
特に増村監督が好んで描いた日本人の女性像を覆すヒロインを体現した野添ひとみは、伝説の好演。事務員ながら社員に「エバるな、お茶ぐらい自分で入れろ!」と毒づき、マイペースに世を闊歩する姿は今観ても鮮烈である。
また、奔流の中で余裕の怪演をみせる伊藤雄之助の存在感も要チェック。
ラスト。主人公の西がさらす滑稽な姿は、傍からみれば異常な世界にのめり込んでいる当時のサラリーマンの比喩であり、未来への警鐘である。
しかし、現在は正社員になれず、まともに働くことすら困難なご時世となり、違った意味で身に迫ってこよう。高度経済成長に向かうイケイケの時代が、如何に幸福であったか…。
名作は時代を越えて、別解釈でも感銘を与えてくれるのだ。
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世の中が情報化社会と称されるようになって幾星霜。いまやメディアのつくった流行に大衆は確信犯的に踊らされ、なおかつ警戒は怠らない処世術を皆が備えるようになっている。でも自覚はあれど、なんだかんだで結果的に手の内で転がされている現状は、かなしいかな変わってはいない。
さらにネットに溢れる有象無象の情報に溺れ、情報ジャンキーの症状が蔓延。刻一刻と時代は変化し、その都度問題が噴出するがゆえ、未来への不安の種は尽きない。
本作は、1958年の段階でそうした社会情勢へ警鐘を鳴らし、鋭く問題に切り込んだ社会派喜劇の傑作である。芥川賞作家の開高健がサントリーの前身、寿屋の宣伝部員時代の経験を活かして執筆した同名短編小説の映画化だ。
大手お菓子会社、ワールド製菓では主力商品のキャラメルの売り上げ不振に、早急な対応を迫られていた。宣伝課課長の合田(高松英郎)は、新人社員の西(川口浩)と共に、子供の注目を集める景品を模索。と同時に、喫茶店でたまたま見かけた虫歯だらけの少女、京子(野添ひとみ)に可能性を直感した合田はすかさず彼女をスカウト。写真家の春川(伊藤雄之助)に京子を託すと、写真上の彼女はたちまち天性の輝きを放ち、雑誌メディアの話題をさらっていく。一方、西は学生時代の友人であり、ライバル会社のジャイアンツ製菓に勤める横山(藤山浩一)と再会。横山から同じくライバル会社のアポロ製菓に勤める雅美(小野道子)を紹介され、情報交換に興ずるのであった。
やがて宇宙服を景品とするワールド、ポケットモンキーといった小動物を景品とするジャイアンツ、子供への奨学金という異例の景品を打ち出したアポロ、とメジャー三者による特売合戦が開幕。京子をイメージ・キャラクターに抜擢したワールドは評判を呼ぶも、母親層をターゲットにしたアポロの成績が一歩抜きんでて…。
監督は、大映で斬新な意欲作を量産した名匠、増村保造。大映に入社後、溝口健二や市川崑のもとで助監督を務め、一方、黒澤明論を執筆する批評家の一面を持ち、イタリアに映画留学。フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティに学び、英文で論文を発表する等、まさに映画史と職人的現場に精通したハイ・スペック超人である。
東大法学部で三島由紀夫と同期であり、後に作品をコラボすることからも映画界の三島由紀夫という先鋭インテリ・イメージを持たれている方も多かろう。
監督デビューを果たしてからは、批評的見地からかつてなかった人物像やモダンな表現技法を打ち出し、邦画界を席捲。新時代の旗手と持て囃される傍ら、いまいち大衆の支持は得られなかった。我が国では、どうしても海外仕込みの優等生は外国かぶれと排他される傾向が観客側、業界側共に依然として強く、実はそれは今でも変わってはいない。
極めて完成度の高い全57作という膨大な監督作を発表しているにも関わらず、あまり世間に浸透していない現状評価は明らかに不当であろう。
個人的には、数年前にケーブルテレビで監督特集を観て、その偉大さを痛感させられた。折にふれて再評価の機運が高まっている監督さんである。
本作『巨人と玩具』もキネマ旬報のベスト・テンにはじめて選出される栄誉こそ得たが、ヒットには恵まれなかった。「俺は10年早かった」というのが監督の口癖だったそうだが、まさに言い得て妙。本作も早すぎた名作といえよう。
主人公の新入社員、西洋介は「いい商品を堅実につくれば、客は自動的に着いてくるのでは?」という良心的な思想をまだもっている。しかし、会社はそんな西を青くさいと切り捨て、「愚かな大衆を我々が導き操る!」といわんばかりの上から目線の洗脳商法を展開。疑問を抱きつつも西は生き馬の眼を抜く宣伝戦争に飲み込まれ、感覚が麻痺し、気付けば会社の歯車と化していく。
西の上司の合田竜次は、上司の娘を娶り出世街道を驀進する野心家。遮二無二、利益を求めて暴走していくうちに人間性を失っていき、疲れを癒すために薬物に手を出し、ついには体調を崩して身を滅ぼしてしまう。
合田に見出された島京子は、急激に世間に祀り上げられ、タクシー会社の事務員という貧しい境遇から一気に、(今でいう)アイドルへと大躍進。天真爛漫で垢抜けなかった彼女が、どんどん洗練され高飛車になっていく様子に呆然…。
この三者三様の変転を通して、仕事中毒やアイドル・ブームといった“使い捨て”文化を的確に捉えた先見の明に唸らざるをえない。当時ショッキングな内容であった本作が、今観るともはや定番といえる在りきたりの物語になっているところが妙味というか何というか…。冒頭で記したように、むしろ進化のなさに空恐ろしさを覚えよう。
本作の構造は、至ってシンプル。大手製菓会社の宣伝対決の行方、西&京子&雅美の恋の鞘当ての顛末や、合田の破滅、等々、ストーリーはオーソドックスに進む。
だが、本作がアバンギャルドであるのは、その語り口!登場人物は速射砲のようにとにかくしゃべりまくり、カットもテンポよく切り替わり、スピーディーな展開にあれよあれよという間にエンドマークをむかえてしまう。
こうした手法は監督の得意技ではあるのだが、本作に関しては観客に考える余地を与えないことで、メディアの洗脳を体感させる狙いがみてとれよう。要は無意識下に入ってくる巧みな宣伝戦略を、身をもって分からせているのである。
そうしたアプローチでエンタメに仕上げてしまうのだから、監督の演出力にただただ脱帽。今観ても度肝を抜かれることうけあいである。
僕も子供の頃、たまたま本作をTVで眼にし、訳もわからず最後まで引き込まれてしまったトワイライトな体験が忘れられない。
増村監督との名コンビで数々の傑作を送り出した脚本家、白坂依志夫の卓越した脚色術にもご注目。氏に関しては、月刊シナリオ誌連載のエッセイで明かされた華やかな女性遍歴に圧倒されたが、本職においても天賦の才に疑いナシ!原作の情緒に訴える場面をオミットし、膨大な活きたダイアローグでまとめたチャレンジングな作劇は見事の一言である。
初々しい大映トップスターの川口浩、後に実生活でその妻となる野添ひとみ、悪役俳優としての凄みをみせる高松英郎、強かに社会を渡る魔性の女の小野道子(=長谷川季子、長谷川一夫の娘さんですな)、等々、役者陣も怒涛の増村演出に必死に喰らいついている。
特に増村監督が好んで描いた日本人の女性像を覆すヒロインを体現した野添ひとみは、伝説の好演。事務員ながら社員に「エバるな、お茶ぐらい自分で入れろ!」と毒づき、マイペースに世を闊歩する姿は今観ても鮮烈である。
また、奔流の中で余裕の怪演をみせる伊藤雄之助の存在感も要チェック。
ラスト。主人公の西がさらす滑稽な姿は、傍からみれば異常な世界にのめり込んでいる当時のサラリーマンの比喩であり、未来への警鐘である。
しかし、現在は正社員になれず、まともに働くことすら困難なご時世となり、違った意味で身に迫ってこよう。高度経済成長に向かうイケイケの時代が、如何に幸福であったか…。
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