突き刺すように冷たい戦慄の実録ドラマ!
震えるほど恐ろしい、人間の底知れぬ闇を覗き込む一級品であった。
本作のメガホンをとったのは、『カポーティ』(05)、『マネーボール』(11)と通好みな高品質作をハズレなしで生み出しているベネット・ミラー監督。第67回カンヌ国際映画祭、監督賞受賞作だ。当監督の演出力の高さは、本年度アカデミー賞で監督賞にノミネートされている実績からも明らか。今回の題材は、ロックフェラー、メロンにならぶ三大財団デュポン社の御曹司が、オリンピック・メダリストを射殺した実際の事件。なんせノンフィクションを“料理”する手腕に長けた監督さんである。当事者から抗議も受けたという本作では、一体どんな鋭利なメスをふるったのか?興味津々でスクリーンに向かったのだが…!?
1984年のロサンゼルス・オリンピックで兄弟そろって金メダルに輝いたレスリング選手、デイヴ(マーク・ラファロ)とマーク(チャニング・テイタム)であったが、その後の生活は対照的であった。社交的でコーチとしても優秀な兄デイヴは家族に恵まれ、生活も安定していたが、弟マークは引っ込み思案な性格から仕事にあぶれ、冴えない日々を送っていた。
そんなある日、マークのもとに全米屈指の大企業デュポン財閥の御曹司ジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)から連絡が入る。デュポンはソウル・オリンピックで金メダルをとるべくレスリング・チーム“フォックスキャッチャー”を結成したので、プロジェクトにマークとデュポンを招きたいという。渡りに船とマークは申し出に飛びつくも、家族との別居を嫌ったデイヴはそれを固辞。結果、マークのみペンシルベニア州の広大なデュポンの敷地に移住し、最新設備の整った施設でトレーニングを開始する。しかしデュポンと親密になるにつけ、その奇行が眼につくようになり…。
夢は、大金持ち―。幸福の目標として一理あろう。でも生まれた時点から、あり余るお金を持っていたらどうか?お金で買えるモノは何でも手に入り、YESマンに囲まれた味気ない生活。空っぽの自分を埋めるため、高級な競争馬に入れ込むようにスポーツ選手や芸術家の後援に回る。それは“キツネ狩り”のような遊戯でありながら、実は切羽詰まった存在確認の足掻きともいえよう。
他方、スポーツ選手や芸術家の成功者の多くは、出は貧しくとも鍛錬や才能で成り上がるアメリカン・ドリームの体現者である。ただ、実際に芸で食べていこうとすれば、通用するのは運のいい一握りだけの厳しい世界。劇中のマークのように金メダリストでもマイナー・スポーツである分、世を渡る器用さがないと苦しい生活を強いられる。
そこで手を差し伸べてくれる富豪と選手の利害は一致いよう。
が、どうしてもお金が絡むと、やがてはプレッシャーや欲の魔力に飲み込まれ、関係に綻びが生まれる。
こういうケースを見ていると、人間にとって成功とは?幸せとは何なのか?と暗澹たる気分に陥ってしまう。本作は、その袋小路の魂の彷徨を淡々と綴っていく。
また、親代わりであったデイヴにずっと依存してきたマークと、母親や財閥という後ろ盾に依存してきたデュポンのゆがんだ友情(?)、そしてそこにデイヴが入り込みことで、さらにゆがんだ三角関係、ダークなホームドラマの様相を呈していくのだからドロドロ極まりない。
音楽すら廃し、生活音に人物の心情を代弁させる等、極限まで説明を削ぎ落としたベネット・ミラーの丹念な演出は、圧巻の一言。静謐の中、常に不穏な空気感が充満し、息苦しさと冷たさに押しつぶされそうになる。
かように対象から一歩引いたアプローチであるがゆえ、登場人物たちへの感情移入は阻まれる。しかしそこに生命を与えた役者陣の熱演は、ただただ必見!
付け鼻をしてジョン・デュポンを演じたスティーブ・カレルの不気味さは、特筆に値しよう。精神を病み、底が読めない能面が心底怖い!『カポーティ』のフィリップ・シーモア・ホフマンのごとく、怪人に見事に血を通わせているのだから、オスカーノミネートもさもありなん。
マーク役のチャニング・テイタムの朴訥さもまた、役にピッタリ。リアリティ溢れる、まさかの名演をみせている。
デイヴを文字通り、好演したマーク・ラファロの上手さは、いわずもがな。唯一まともな人間である彼の存在が、より本作の狂気を際立たせていよう。
マーク・ラファロはともかく、コメディと大味アクションのイメージがあるカレルとテイタムの双方をキャスティングし、演技派に高めたミラーの力量はやはりたいしたものである。
また、デュポンの闇を読み解くキーマンの母親役ヴァネッサ・レッドグレイヴの幽玄さもまた適材適所だ。
本作は、事件の顛末を解き明かすようなノンフィクションではなく、客観的なスタンスを貫き、一定の解釈は出来こそすれ、真相は曖昧なままである。その曖昧さが、人間なのだといわんばかり。名誉欲や金銭欲に溺れる人間の弱い部分が、身に沁みていくと共に、裏を返せば滑稽そのもの。「よく分からないけど、スゴイものを観てしまった…」という感慨である(笑)。
ことほど左様にシネフィルにとっては、映像の只ならぬ迫力と役者陣の存在感で始めから最後まで圧倒される至高の心理スリラーである。が、一般的にみると恐ろしくテンポが悪く退屈で、およそ面白い映画とはいえまい。
よって、アカデミー賞において常々、作品賞と監督賞がセット受賞しないのはおかしいと思ってはいるが、本作に限っては作品賞のノミネートを逃したのは頷ける。
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震えるほど恐ろしい、人間の底知れぬ闇を覗き込む一級品であった。
本作のメガホンをとったのは、『カポーティ』(05)、『マネーボール』(11)と通好みな高品質作をハズレなしで生み出しているベネット・ミラー監督。第67回カンヌ国際映画祭、監督賞受賞作だ。当監督の演出力の高さは、本年度アカデミー賞で監督賞にノミネートされている実績からも明らか。今回の題材は、ロックフェラー、メロンにならぶ三大財団デュポン社の御曹司が、オリンピック・メダリストを射殺した実際の事件。なんせノンフィクションを“料理”する手腕に長けた監督さんである。当事者から抗議も受けたという本作では、一体どんな鋭利なメスをふるったのか?興味津々でスクリーンに向かったのだが…!?
1984年のロサンゼルス・オリンピックで兄弟そろって金メダルに輝いたレスリング選手、デイヴ(マーク・ラファロ)とマーク(チャニング・テイタム)であったが、その後の生活は対照的であった。社交的でコーチとしても優秀な兄デイヴは家族に恵まれ、生活も安定していたが、弟マークは引っ込み思案な性格から仕事にあぶれ、冴えない日々を送っていた。
そんなある日、マークのもとに全米屈指の大企業デュポン財閥の御曹司ジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)から連絡が入る。デュポンはソウル・オリンピックで金メダルをとるべくレスリング・チーム“フォックスキャッチャー”を結成したので、プロジェクトにマークとデュポンを招きたいという。渡りに船とマークは申し出に飛びつくも、家族との別居を嫌ったデイヴはそれを固辞。結果、マークのみペンシルベニア州の広大なデュポンの敷地に移住し、最新設備の整った施設でトレーニングを開始する。しかしデュポンと親密になるにつけ、その奇行が眼につくようになり…。
夢は、大金持ち―。幸福の目標として一理あろう。でも生まれた時点から、あり余るお金を持っていたらどうか?お金で買えるモノは何でも手に入り、YESマンに囲まれた味気ない生活。空っぽの自分を埋めるため、高級な競争馬に入れ込むようにスポーツ選手や芸術家の後援に回る。それは“キツネ狩り”のような遊戯でありながら、実は切羽詰まった存在確認の足掻きともいえよう。
他方、スポーツ選手や芸術家の成功者の多くは、出は貧しくとも鍛錬や才能で成り上がるアメリカン・ドリームの体現者である。ただ、実際に芸で食べていこうとすれば、通用するのは運のいい一握りだけの厳しい世界。劇中のマークのように金メダリストでもマイナー・スポーツである分、世を渡る器用さがないと苦しい生活を強いられる。
そこで手を差し伸べてくれる富豪と選手の利害は一致いよう。
が、どうしてもお金が絡むと、やがてはプレッシャーや欲の魔力に飲み込まれ、関係に綻びが生まれる。
こういうケースを見ていると、人間にとって成功とは?幸せとは何なのか?と暗澹たる気分に陥ってしまう。本作は、その袋小路の魂の彷徨を淡々と綴っていく。
また、親代わりであったデイヴにずっと依存してきたマークと、母親や財閥という後ろ盾に依存してきたデュポンのゆがんだ友情(?)、そしてそこにデイヴが入り込みことで、さらにゆがんだ三角関係、ダークなホームドラマの様相を呈していくのだからドロドロ極まりない。
音楽すら廃し、生活音に人物の心情を代弁させる等、極限まで説明を削ぎ落としたベネット・ミラーの丹念な演出は、圧巻の一言。静謐の中、常に不穏な空気感が充満し、息苦しさと冷たさに押しつぶされそうになる。
かように対象から一歩引いたアプローチであるがゆえ、登場人物たちへの感情移入は阻まれる。しかしそこに生命を与えた役者陣の熱演は、ただただ必見!
付け鼻をしてジョン・デュポンを演じたスティーブ・カレルの不気味さは、特筆に値しよう。精神を病み、底が読めない能面が心底怖い!『カポーティ』のフィリップ・シーモア・ホフマンのごとく、怪人に見事に血を通わせているのだから、オスカーノミネートもさもありなん。
マーク役のチャニング・テイタムの朴訥さもまた、役にピッタリ。リアリティ溢れる、まさかの名演をみせている。
デイヴを文字通り、好演したマーク・ラファロの上手さは、いわずもがな。唯一まともな人間である彼の存在が、より本作の狂気を際立たせていよう。
マーク・ラファロはともかく、コメディと大味アクションのイメージがあるカレルとテイタムの双方をキャスティングし、演技派に高めたミラーの力量はやはりたいしたものである。
また、デュポンの闇を読み解くキーマンの母親役ヴァネッサ・レッドグレイヴの幽玄さもまた適材適所だ。
本作は、事件の顛末を解き明かすようなノンフィクションではなく、客観的なスタンスを貫き、一定の解釈は出来こそすれ、真相は曖昧なままである。その曖昧さが、人間なのだといわんばかり。名誉欲や金銭欲に溺れる人間の弱い部分が、身に沁みていくと共に、裏を返せば滑稽そのもの。「よく分からないけど、スゴイものを観てしまった…」という感慨である(笑)。
ことほど左様にシネフィルにとっては、映像の只ならぬ迫力と役者陣の存在感で始めから最後まで圧倒される至高の心理スリラーである。が、一般的にみると恐ろしくテンポが悪く退屈で、およそ面白い映画とはいえまい。
よって、アカデミー賞において常々、作品賞と監督賞がセット受賞しないのはおかしいと思ってはいるが、本作に限っては作品賞のノミネートを逃したのは頷ける。
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