過去に向き合い、未来に突き進む熱唱!
定番の再生ストーリーながら、コテコテの浪花節が身に沁みる快作であった。
本作は、前田敦子、“乃木坂46”と最近アイドルづいている奇才、山下敦弘監督作。今回主演に迎えるのは男性アイドルグループ、“関ジャニ∞”の渋谷すばるだ。加えて、クセ者監督をコンプリートする勢いのシネフィルのミューズ、二階堂ふみのダブル主演というのだから胸は躍る。
しかし、さらに惹きつけられるのが、“大阪”とバンド“赤犬”のキーワード。大阪芸術大学映像学科の卒業制作で世に出て、同大学のメンバーで構成された“赤犬”と組んで初期作品を製作した山下監督。原点回帰というか、何か取り組むべきテーマに取り組んだ気概を感じる。大阪出身者としては大いに気になるところだが、はたしてその内容は如何に…!?
大阪。刑務所を出所したばかりの男(渋谷すばる)が何者かに捕えられ、半殺しで路上に放り出される。なんとか一命をとりとめた男は、ふらふらと広場で行われていた地元バンド“赤犬”のライブに乱入。マイクを奪うと、和田アキ子の『古い日記』を歌い出し、高い歌唱力で観客を圧倒。歌い終わるなり、意識を失ってしまう。
目覚めた男は記憶喪失になっており、仕方なく“赤犬”のマネージャー兼貸スタジオの経営者カスミ(二階堂ふみ)のもとに居候する運びとなる。こうして“ポチ男”と命名された男は、交通事故にあった“赤犬”のボーカルに代わり、ステージにたつ羽目になるのだが、徐々に男の荒んだ過去が明らかになってきて…。
“味園(みその)”とは、1956年に開業した大阪千日前に建つ複合施設ビル。“ユニバース”は、そこに入っていた豪華キャバレーであり、長らく人気を博すも2011年に営業終了。現在は貸ホールとして活用されており、サブカルチャー、アングラ芸術の発信地として、その昭和の古き良き香りを残す建物は、依然、光を帯びている。
スーパー真面目少年だった僕は、ケバケバしいネオンが嫌でも目につく看板を横目に自転車で通り過ぎたことがある程度で、全く関わりはなかった。
本編の物語は、過去(記憶)を失ったポチ男と、ある悲劇から時間がとまったカスミという訳アリ同士の心を補う交流を、オフビートな山下節で活写。結果、積み上げていく未来の大切さを謳った、よくある話ではある。
本作はそのオーソドックスな流れを、大阪のディープスポット“ウラナンバ”の下町人情でコーティングしているのだが、「温かい」というよりむしろヘタレな登場人物の生々しさに包み込まれる。上っ面な映画が多い中、絵空事にしてはいない。例えば、ポチ男の過去を握る豆腐屋の夫婦(松岡依都美と宇野祥平)の内面はもちろん店の外装のくたびれ加減たるや。暗鬱な画ではあるが、下町をファンタジックに描くのではなく、工場地帯の匂いすら漂ってくる寂れ感を伝える姿勢に敬意を表したい。甘い映画ではないのだ。
タイトルに冠した、“味園”を舞台にしたのもツボである。上記したビルの栄枯盛衰の歴史と、ポチ男とカスミのドラマがオーバーラップし、味わいが増そう。
要は、人間も街も同じなのだ。人や街に染みついた“におい”、いわゆる過去は捨て去れるものでなく、また捨てさっていいものでもない。古きものと新しいもの、両者の共生が必要となる。大げさかもしれないが、“味園”とポチ男とカスミの到達点は、昨今の地域創造の名のもとに横行される古きものを根絶やす政策へのひとつの解答となろう。
かようなメッセージを魂の熱唱で体現したのが、ポチ男役の渋谷すばる。“関ジャニ∞”のメンバーだそうだが、恥ずかしながら初めて知った。っていうか、この人、本当にアイドルなのか?歌が上手いのは分かるが、身体全体から発するやさぐれ感は本物のチンピラにしか見えない。こんな逸材がアイドル界にいたとは…。
事実上、本作を引っ張っている堂々主演の二階堂ふみに関しては、一言、「関西弁が、めちゃカワ」。この自然さは、特筆モノである。『じゃりン子チエ』のチエちゃんよろしくオッサンを手玉にとる肝っ玉少女ぶりがたまらない。観ている間は、尻に敷かれる“赤犬”メンバーに完全に同化し、ひれ伏していた。個人的に昨今、一番ハマったキャラである。
そんな“赤犬”メンバーの決して前に出ず背景でノロノロ蠢き、本作の世界観を形作る存在感もまたGOOD。ボーカルの粋な役割にも拍手だ。正直、音楽性についてはよく知らないが、劇中歌もホットであった。
実名で登場する“味園ビル”や“赤犬”(ビル内にあるメンバーが経営するバー『マンティコア』もちゃっかり登場)、そして“ユニバース”の復活祭である“赤犬”のワンマンライブがクライマックスに組み込まれている点にもご注目。
このノンフィクションとフィクションの融合は、前作の『超能力研究部の3人』(14)から続く山下演出の進化系にもみえる。リアルな空間をきりとる元来の手法を、現実と地続きのテーマに昇華させる特殊技へ、監督は今後極めていくのかもしれない。
展開にご都合主義が蔓延し、最後の重要なところで強引な手を使ったりと、残念な箇所が眼につくのは確か。手放しで傑作とは言い難い。でも大阪人の最高の賛辞を送りたい。
「しょーもな」
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定番の再生ストーリーながら、コテコテの浪花節が身に沁みる快作であった。
本作は、前田敦子、“乃木坂46”と最近アイドルづいている奇才、山下敦弘監督作。今回主演に迎えるのは男性アイドルグループ、“関ジャニ∞”の渋谷すばるだ。加えて、クセ者監督をコンプリートする勢いのシネフィルのミューズ、二階堂ふみのダブル主演というのだから胸は躍る。
しかし、さらに惹きつけられるのが、“大阪”とバンド“赤犬”のキーワード。大阪芸術大学映像学科の卒業制作で世に出て、同大学のメンバーで構成された“赤犬”と組んで初期作品を製作した山下監督。原点回帰というか、何か取り組むべきテーマに取り組んだ気概を感じる。大阪出身者としては大いに気になるところだが、はたしてその内容は如何に…!?
大阪。刑務所を出所したばかりの男(渋谷すばる)が何者かに捕えられ、半殺しで路上に放り出される。なんとか一命をとりとめた男は、ふらふらと広場で行われていた地元バンド“赤犬”のライブに乱入。マイクを奪うと、和田アキ子の『古い日記』を歌い出し、高い歌唱力で観客を圧倒。歌い終わるなり、意識を失ってしまう。
目覚めた男は記憶喪失になっており、仕方なく“赤犬”のマネージャー兼貸スタジオの経営者カスミ(二階堂ふみ)のもとに居候する運びとなる。こうして“ポチ男”と命名された男は、交通事故にあった“赤犬”のボーカルに代わり、ステージにたつ羽目になるのだが、徐々に男の荒んだ過去が明らかになってきて…。
“味園(みその)”とは、1956年に開業した大阪千日前に建つ複合施設ビル。“ユニバース”は、そこに入っていた豪華キャバレーであり、長らく人気を博すも2011年に営業終了。現在は貸ホールとして活用されており、サブカルチャー、アングラ芸術の発信地として、その昭和の古き良き香りを残す建物は、依然、光を帯びている。
スーパー真面目少年だった僕は、ケバケバしいネオンが嫌でも目につく看板を横目に自転車で通り過ぎたことがある程度で、全く関わりはなかった。
本編の物語は、過去(記憶)を失ったポチ男と、ある悲劇から時間がとまったカスミという訳アリ同士の心を補う交流を、オフビートな山下節で活写。結果、積み上げていく未来の大切さを謳った、よくある話ではある。
本作はそのオーソドックスな流れを、大阪のディープスポット“ウラナンバ”の下町人情でコーティングしているのだが、「温かい」というよりむしろヘタレな登場人物の生々しさに包み込まれる。上っ面な映画が多い中、絵空事にしてはいない。例えば、ポチ男の過去を握る豆腐屋の夫婦(松岡依都美と宇野祥平)の内面はもちろん店の外装のくたびれ加減たるや。暗鬱な画ではあるが、下町をファンタジックに描くのではなく、工場地帯の匂いすら漂ってくる寂れ感を伝える姿勢に敬意を表したい。甘い映画ではないのだ。
タイトルに冠した、“味園”を舞台にしたのもツボである。上記したビルの栄枯盛衰の歴史と、ポチ男とカスミのドラマがオーバーラップし、味わいが増そう。
要は、人間も街も同じなのだ。人や街に染みついた“におい”、いわゆる過去は捨て去れるものでなく、また捨てさっていいものでもない。古きものと新しいもの、両者の共生が必要となる。大げさかもしれないが、“味園”とポチ男とカスミの到達点は、昨今の地域創造の名のもとに横行される古きものを根絶やす政策へのひとつの解答となろう。
かようなメッセージを魂の熱唱で体現したのが、ポチ男役の渋谷すばる。“関ジャニ∞”のメンバーだそうだが、恥ずかしながら初めて知った。っていうか、この人、本当にアイドルなのか?歌が上手いのは分かるが、身体全体から発するやさぐれ感は本物のチンピラにしか見えない。こんな逸材がアイドル界にいたとは…。
事実上、本作を引っ張っている堂々主演の二階堂ふみに関しては、一言、「関西弁が、めちゃカワ」。この自然さは、特筆モノである。『じゃりン子チエ』のチエちゃんよろしくオッサンを手玉にとる肝っ玉少女ぶりがたまらない。観ている間は、尻に敷かれる“赤犬”メンバーに完全に同化し、ひれ伏していた。個人的に昨今、一番ハマったキャラである。
そんな“赤犬”メンバーの決して前に出ず背景でノロノロ蠢き、本作の世界観を形作る存在感もまたGOOD。ボーカルの粋な役割にも拍手だ。正直、音楽性についてはよく知らないが、劇中歌もホットであった。
実名で登場する“味園ビル”や“赤犬”(ビル内にあるメンバーが経営するバー『マンティコア』もちゃっかり登場)、そして“ユニバース”の復活祭である“赤犬”のワンマンライブがクライマックスに組み込まれている点にもご注目。
このノンフィクションとフィクションの融合は、前作の『超能力研究部の3人』(14)から続く山下演出の進化系にもみえる。リアルな空間をきりとる元来の手法を、現実と地続きのテーマに昇華させる特殊技へ、監督は今後極めていくのかもしれない。
展開にご都合主義が蔓延し、最後の重要なところで強引な手を使ったりと、残念な箇所が眼につくのは確か。手放しで傑作とは言い難い。でも大阪人の最高の賛辞を送りたい。
「しょーもな」
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